| 2005年 3月 19日(土) |
リヴィングストンとスタンレー
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●アフリカへの宣教師、探検家、地理学者、博物学者として知られるデービッド・リヴィングストンは、1813年のこの日、スコットランドで生れました。彼は、苦学して内科医となりました。ある日彼は、宣教師からアフリカについて、「澄みきった朝に、イエス・キリストの名前が知られていない多くの村からの煙がみえた。…」という言葉が語られたのを聞いて心を動かされ、1840年にロンドン伝道協会の医療伝道師としてアフリカに渡りました。当時は、アフリカ大陸については暗黒大陸といわれ、ほとんどが知られていませんでした。彼は、南アフリカから中央部にかけて、キリストの福音を伝えながら、原住民の言語、風俗、習慣を学び、医療を施し、また黒人奴隷をも解放しました。更にヌガミ湖やカラハリ砂漠、ザンベジ川、ヴィクトリア瀑布などを発見して、遂にアフリカ大陸横断を成し遂げました。
●帰国後、『南アフリカにおける伝道旅行』を著し、ヴィクトリア女王からキリマネ領事兼探検隊長に任じられて、再びアフリカに赴きました。そしてアフリカ大陸内陸部について数々の発見を重ねました。1866年、ナイル川の水源地を探るために三度目の探検に出かけた時、彼は消息を断ちました。そこで有名な新聞『ニューヨーク・ヘラルド』紙は、リヴィングストンを見つけるために、ロンドンからイギリスの探検家ヘンリー・スタンレーをアフリカに派遣しました。スタンレーは、アフリカに着いて、何か月も探索した後、1871年ウジジで、リヴィングストンに会うことが出来ました。スタンレーは、クリスチャンではありませんでしたが、リヴィングストンに会ったことによって彼の生活は変わりました。スタンレーは、次のように言っています。「私は、4ヶ月と4日の間、同じ小屋、同じボート、同じテントで、リヴィングストン先生と一緒に住みました。しかし私は、彼の中に1つの欠点も見つけることは出来ませんでした。私は無神論者でしたし、キリスト教に対して偏見を抱いていました。また彼は、私をクリスチャンにしようとさえしませんでした。でも私は、デービッド・リヴィングストンによってクリスチャンになりました。」
●デービッド・リヴィングストンは、暗黒大陸のアフリカに福音を伝え、ヨーロッパに奴隷貿易の悪を指摘し、探検家として未知の世界であるアフリカの地理の知識を伝えました。その後、スタンレーと別れて、1873年北ローデシアのチタンボで赤痢のため亡くなりましたが、彼の著作、人格の力、そして悲劇的な死によって、奴隷売買の根絶をイギリス政府に強く訴えることとなり、ついには奴隷売買商人は奴隷の輸出禁止協定に署名し、ザンジバルの奴隷大市場は閉鎖されました。また彼の伝道所は、その後再建されて、広大な地域のあちこちらに会堂や大聖堂が建ち、アフリカ人の牧師と信徒たちが増えていきました。そしてリヴィングストンの残した仕事を継続するために、アフリカに戻ったのがあのヘンリー・スタンレーだったのです。