| 2006年 10月 6日(金) |
神は主人か? 召使か?
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●10月の古名は、「神無月(かんなづき)」です。そのように呼ばれるようになった理由には、いろいろな説がありますが、最も一般的なのが、日本の八百万の神々が10月に会議をするために出雲に出張するので、それぞれの地方には、神がいなくなるので神が無い月だというものです。しかも会議の内容は、それぞれの土地に住んでいる結婚適齢期の氏子の名簿を持ち寄って、他の地方の神々と相談をして良縁をまとめることだというのです。この会議で結婚相手が決まるとするならば、今結婚を願っている人は、自分の土地の神に是非頑張ってもらいたいですね。
●そうすると出雲以外の土地には、神が全く居ないのでしょうか。ところが「恵比寿」神だけは居るそうです。つまり留守番役なのですね。しかも恵比寿神だけがなぜ会議に参加しないのかというと、足が不自由で歩けないからだそうです。えっ?そんな神もいるのと思われるでしょうが、『古事記』によると、日本の国を造った神々は、イザナギノカミとイザナミノカミで、この夫婦の神々の間に生まれたのが「蛭子命(ヒルコノミコト)」でした。しかし彼は生まれつき足が不自由で歩けなかったので、なんと両親である神々は、生まれたばかりの子を船に乗せて流してしまったというのです。つまり捨てたのですね。その流された子が、「恵比寿」神だというのです。それで10月には、“恵比寿講”という恵比寿神の祭りが行われます。
●勿論これは、神話という人間が創作した話ですから、なんとも奇妙な話なのですが、日本には八百万といわれる神々が居るということですから、人間が自分の都合に合わせて神々を選びまた捨てることができるわけで、あくまでも人間が主人で神々が召使という関係になるでしょう。それに対して一神教の神は、神が主人です。神を主人とするか召使とするか、このことはクリスチャンになってからも自分の心の中で整理しておかなければならない事柄です。