2006年 2月 28日(火)

食事 2

●さて昨日の続きですが、食前に「いただきます」と言うのは、合図なのか、挨拶なのかという点に関してですが、あなたはどう思いますか。「セーノ」とか「用意ドン」のような、これからあることが始まるという合図と考えれば、特別目くじらをたてる必要もありませんが、「いただきます」を「用意ドン」と同じだと考える人は多くはないでしょう。なぜなら「いただく」とは、丁寧語だからです。何かの感謝の気持ちを、自分のより目上の方に表す挨拶でしょう。では誰に対して、どのような感謝の気持ちを表すのでしょうか。
●「誰に」対してということになると、給食を作ってくれた人々、栄養士さん、運んでくれた人、食材を作ってくれた人々、給食費を出してくれたお父さん・お母さん・・・・ということになると、「いただきます」と言って食事を始めるのは、当たりまえの挨拶といっていいでしょう。もし「給食費を払っているんだから、感謝なんて必要ない」と考えるならば、町のレストランに行って、金さえ払えばどんな食べ方をしたっていいのだと子どもに教えるようなものです。やはり国語・算数と同様に、最近話題になっている「食育」は必要です。
●更に食事が、命を持っていた食材の命をいただく行為であるとか、私たちは食事によって生かされているのだという話を公的な教育機関でなされると、それは宗教的な話であると嫌う人が出てくるでしょう。しかし「いただきます」ということばには、それらの意味が含まれています。私たちが食前の祈りをするのは、このような領域にかかわることです。全世界を造られた神に感謝をして食事がいただけることは、なんと素晴らしいことでしょうか。