| 2006年 3月 12日(日) |
主の恵みの中での成長/11 みことばを現実化する「信仰」
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【礼拝メッセージ要約】
●先週まで、「みことば」は《神の約束》であり、みことばが実現するためには、みことばを心の中に植えつけることが大切であることを話しました。みことばを心に植えつけるとは、単にみことばを暗記・暗唱ができたことがそれを意味しているのではなく、神に絶対的に従うことを決心し、自分が神の願われるように変えられることを受け入れることが必要です。なぜならみことばがその人の中に実現するのは、人の力によるのではなく、決心した人に神ご自身が働いてくださるからです。そのために必要なのは、「信仰」です。そこで今日は、みことばが実現するために必要な信仰とは、どのようなものか考えてみましょう。
●まず第一に、「信仰」とは、霊の新生した人に与えられる新しい性質にある力であることを理解する必要があります。
◆「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。・・・・」(ヘブル12: 2)
この「信仰の創始者」ということばにあるように、信仰とは、人間的な力ではなく、キリストによって与えられる力です。例えば、あなたは次のようなことを信じることができるでしょうか。
・神は、世界に様々な神々がいるのではなく、世界を創造された神だだおひとりである。
・神は、人間が唯一の神を離れて地獄に行くようにならないために、独り子イエスを、すべての人の身代わりとして死なせた。
・神の独り子イエスは、十字架上で死んだが、復活された。
・あなたは、自分がすでに神に知られて、愛されている。
・聖書はすべて、神が人を通して書かせた神のことばである。
あなたがこれらのことを疑いもなく信じているならば、それは人間的な考えによるのではなく、神から与えられた知恵を持っていることになります。人間的な理解は、これらのことを受け入れません。神によってキリストを通して霊的に新しい誕生をした者に与えられた性質に伴う力によってのみ信じることができます。「信仰」は、キリストによって始められ、また成長し、完成に向かうのです。
●第二に、「信仰」は、用いることによって、確認され、現実のものとなります。
◆「あなたの(聖書で)見ているとおり、彼(アブラハム)の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ・・・・」(ヤコブ2:22)
アブラハムは、「信仰の父」といわれる人物ですが、彼の信仰はただ心の中にとどまっていたのではなく、現実に行動となって表されました。ウオッチマン・ニーは、「信仰とは・・・」という表現の中で、「小切手(神の約束)を受け取った人が、それを銀行に持っていって(行動が伴う信仰)、現金化すること」と表しています。確かにどんなに高額な小切手を持っていたとしても、それがお金として銀行から引き出され、実際に物を買ったりするために用いられなければ意味がありません。これと同じように、神がそれを引き出して用いるようにとクリスチャンに与えてくれた祝福を、実際の生活の中に現実化することがなければ、小切手を集めているだけのようなものです。お金を用いて自分の必要を満たすだけでなく、周囲の困っている人々に用いてもらうように、クリスチャンは、すでに与えられている「みことば」に約束されている霊的・物質的富を、現実に引き出さなければなりません。むしろ神は、クリスチャンが信仰を持って、神が用意した祝福を引き出すことを望んでおられるのです。
ラインハルト・ボンケは、次のように言っています。「信仰とは、持っているものではありません。行うことです。・・・私たちが行動するとき、神様も働いてくださる、これが信仰に関する神様の原則です。私たちが、信仰によって応答すると、神様も、その信仰ゆえに私たちに応答してくださるのです。」
●第三に、神が与えた「信仰」は、恐れを退けます。
◆「わたしの義人は信仰によって生きる。 / もし、恐れ退くなら、 / わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。 (ヘブル10:38、39)
聖書にあるみことばは、確かに神が人を通して語られたものですが、どれも同じ条件で私たちに語られているわけではありません。神は、時と状況に応じて各人に語られるのです。神は、聖書を通して語り、また具体的な行動を促すことを直接語られます。私たちは、神の語りかけを得た時に、しっかりとした「信仰」を持つことができます。たとえみことばを土台にしていながらも、神が直接語ってくださらない時は、私たちは恐れを抱くかもしれません。しかしみことばの約束と共に、神が私たちに直接語られるならば、もう恐れも不安もありません。たとえその実現が遅くなったとしても、私たちは期待して待つことができます。ですから特に今週は、心を静めて神が語ってくださる「信仰」を受けるように耳を傾けましょう。
再びラインハルト・ボンケは、次のように語っています。
「信仰とは、神様のことばに従うことです。信仰は、あらゆる活動を麻痺させる“恐れ”というものを取り除くある種の免疫システムのようなものです。この信仰が働かなくなる時、私たちはあらゆる種類の恐怖症や脅迫観念に陥ってしまいます。」
今週、神があなたに何か行動を促すことを語られたら、勇気を持って実践してみましょう。もし行動を起こしてもその通りに事が起こらなかったら、きっと私は恥ずかしい目に会うだろうという思いが、私たちに「恐れ」の感情を引き起こすかもしれません。しかし私たちの自我が死んでいるなら、恥ずかしいという思いを持つことはないでしょう。神は、自我が死んでいる人の働きに、より多くご自身の力を現してくださいます。