| 2006年 3月 14日(火) |
文章の恐さ
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●15世紀末に絵画や彫刻・建築等さまざまな分野で活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中に、秘密が隠されているとして書かれた小説『ダ・ヴィンチ・コード』が、世界的なベストセラーとなり、今、その映画化が進められています。先日、近くの図書館でこの本の解説本があったので借りてきました。日本人が書いたものですが、著者は長い間様々な暗号解読にたずさわったということなので、どのような解説がなされているのだろうかと興味がわいて読み始めました。
●まず最初の項は、四福音書についての解説ですが、読み始めてその文章が気になりました。文の終わりを取り上げてみると、「・・・考えられている。」「・・・といわれる。」「・・・ともいわれる。」「・・・という。」「・・・されている。」「・・・されている。」「・・・みられている。」「・・・定説である。」「・・・ものらしい。」「・・・精度が極めて高いというものだ。」「・・・と結論づける研究者もいる。」「・・・考えられている。」という表現が並んでいます。なんとわずか2ページに書かれている19の文のうち12の文がこのような表現なのです。もっとも著者は、聖書の研究者ではないので、このような表現にならざるをえなかった、いわば正直な人だとは言えるのですが、では明らかなことは何なの?という疑問がわいてきます。
●そもそも『ダ・ヴィンチ・コード』なる本は小説なので、作者の想像・創作が入ってきてもかまわないのですが、事実と想像を混ぜながら作り上げていくと、読者は、事実と想像の区別がつかなくなって、最後にはすべてが事実であるかのように錯覚してしまうという恐さがあります。この解説本の著者も、このような表現で、これは自分の考えではないということを明らかにしているつもりなのでしょうが、読者がこの本を読み終わる頃には、彼が書いた「・・・とされている。」という表現は、「・・・である。」という文に読者の頭の中で置き換えられていることになるでしょう。私たちは、他の人の文章を読む時には、十分注意しなければなりません。特に、聖書に批判的な文章は、サタンは巧妙な表現をもって、聖書は信じるに足らない書であるという思いを人々に与えようと働いているのです。