2006年 4月 12日(水)

イエスと十字架/1

●今週は、約2000年前にイエス・キリストが、十字架に架かって死んだ「受難週」です。キリストが十字架についた理由については、よくイエスの伝道の仕方が当時の宗教関係者たちと対立したために、彼らの憎しみの結果、十字架に架けられたのだと解説する人がいます。つまり殺されなくてもよかったものを、イエスの態度が悪かったために殺されることになったのだという説明です。しかしイエスご自身は、自ら十字架に架かって死ぬことは、度々弟子たちに語ってきました。ですから、イエスは、他人によって十字架に架けられたのではなく、自らの意志で十字架に架かったのです。

●ではなぜイエスは、自分から進んで十字架に架からなければならなかったのでしょうか。それには、旧約聖書の時代からの歴史の流れの上に、神の独り子イエスが存在しているということを理解しなければなりません。ヨハネの福音書3章14節でイエスは、次のように言っています。「モーセが荒野で、青銅で作った蛇を、さおの先に掲げたように、わたし(イエス)も木の上に上げられなければなりません。この出来事はイエスの時代からさかのぼること1200年くらい前に、モーセに率いられたイスラエルの民は、エジプト神は毒蛇によってその反逆を戒めました。その毒蛇に噛まれて多くの人々が死んだのです。そこで反省したイスラエル人に対して、モーセは銅で作った毒蛇を旗ざおの上に掲げ、神に悔い改めてこの蛇を見た人は、癒されることを示しました。これは、イスラエルの歴史の中で実際にあったことですが、神は、この時の出来事を記憶させ、旗ざおに掲げられた銅の蛇のように、独り子イエスを十字架にさらし、イエスの死によってそれを信じるすべての人を幸せにするということを行ったのです。それでイエスは、その神の計画を実行するために自分は生まれてきており、その生涯の終わりには十字架に架かって死ななければならないと語っておられたのです。それが、ヨハネの福音書3章14節の意味です。ですからイエスが十字架上で死ななければ、人類の救いはありませんでした。

●唯一であり、イエスを人類を救う救い主(キリスト)として送られた神を認めない人はすべて、神に反逆したイスラエルの民と同じ立場にあります。罪という毒蛇の毒は、やがてその人の体全体に回ってやがて死を迎えるでしょう。それはその人は死後「地獄」に行かなければならないことを意味しています。そこで十字架に架かったイエス・キリストが、自分を救ってくださると信じて十字架上のイエスを思い浮かべるならば、その人は癒される、つまり「天国(神の国)」に入ることが出来るのです。ですからイエスは、十字架に架からなければならなかったのです。