2006年 4月 14日(金)

イエスと十字架/3

●今日は「受難日」です。マタイの福音書27章には、午前に鞭打ちの刑の後、十字架につかれたイエスが、午後3時頃に、大声で叫ばれた出来事が書かれています。
◆「三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」(マタイ27:46)

●これは、理解するために少し難しい内容を持っています。それは、イエス自身がこれまで自分で神の子だと言っていながら、父なる神に対して「わが神」と言っていること、また父なる神に「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と語っている点です。これをあるグループでは、父なる神はイエスを見捨て、イエスが十字架に架かって神の救いの計画を実行しようとしたことは、失敗に終わったのだとして、イエスに代わる自分こそが真の救い主(キリスト)だとして、多くの人たちを惑わしています。

●しかし神の子であるイエスが、父なる神になぜ「わが神」と呼びかけられたのかという点が、ここでの理解のポイントです。つまり神に対して「わが神」と呼びかけるということは、その人は人間であるということです。神であられる方が、人間となって地上に誕生されたお方がイエスですから、イエスは、神の立場を持っている人間ということで、神学的には「神性と人性」の両方を持ったお方であると理解されています。つまりこの時の彼の叫びは、人間の立場における叫びなのです。

●生まれつきの人間は、神に敵対する「罪」の性質を持っていますから、「地獄」に行かなければなりません。「地獄」とは、神から「見捨てられた」者たちが行くべき所です。神は、人間の「罪」を御子イエスに負わせて、彼に十字架に架かって死ぬことを要求されたのです。ですからイエスのこの叫びこそ、神が人類を救うために計画されてきたことが、確かに実行されているということの宣言であったのです。パウロは、イエスの死を失敗とは見ていませんし、イエスの十字架上での死は自分のためであったと信じることが、救いの条件であると語っていると昨日の日記に書いたのはこの意味です。