2007年 10月 9日(火)

無言

●イエスが、神であられるのに人間となって、この地上での生活を行なわれた理由の1つは、クリスチャンにも彼のような生活をするようにということを示すためでした。その一つは「無言でいること」です。勿論いつでも無言でいるというのではありませんが、私たちならば叫んだり、弁解したりしたくなる時に、彼は無言でした。それは彼が十字架につけられるために不当な裁判がなされていた時です。私たちは、殺されるために裁判を受けることはありませんが、周囲が悪意で満ち、自分を陥れる計画があらかじめなされ、信じていた人に裏切られるような時には、「無言」でいましょう。そしてただ自分を、ここに置いてくださり、今も生かしてくださっておられる神を見上げましょう。