| 2007年 3月 11日(日) |
十字架と復活/1 公にされること
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【メッセージ要約】
●先週の金曜日、CFNJ聖書学院の卒業式が行われました。私は20数年かかわらせて頂きましたが、今回のような卒業式は初めてだと思います。それは、卒業証書授与の前に、学生一人ひとりが十字架を背負った姿で写真を撮ることでした。
◆「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」(ルカ9:23)
聖書学院の卒業がクリスチャンの成長を意味するのではなく、キリストにあって日々自我の死を体験していくことこそが成長であるということを、学院長は意識させたかったのだと思います。これは、キリスト信仰の中心でもあります。クリスチャンがいつもキリストの新しいいのちを得たいと思うならば、まず自我の死を受け入れなければならないのです。
◆「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」(ローマ6:8)
●「復活祭」を間近に控えていますが、約2000年前にイエスが十字架に架かって死んだこと、そして3日目に復活されたことの出来事を思うこの時期は、キリスト信仰を保ち成長させていく上で最も重要な時を過ごしていると思います。今年の復活祭は4月8日(日)ですが、約1ヶ月の間、信仰の中心である「十字架と復活」について確認し、その後に復活祭を迎えたいと思います。
●そこで今日のテーマは、十字架についてですが、キリストの信仰になぜ十字架が必要なのでしょうか。聖書学院での私の3学期の講義内容は、「異端」についてでした。キリスト教界で一般に三大異端といわれるものには、「エホバの証人」「モルモン教」「統一協会」があります。これらは、聖書の教えと異なるので「異端」といわれるのですが、その他にこの3つのグループに共通していることは、「十字架を掲げていない」ということです。キリスト教と十字架という関係はとても重要で、あるクリスチャンが思い描いている以上に、十字架には悪魔に対抗して働く大きな力があることを意味しています。
●イエスが死ぬために、なぜ十字架が用いられなければならなかったのでしょうか。それは、イエスの体は「掲げられる必要があった」からです。よく十字架を過小評価する人は、イエスは十字架に架けられる必要はなく、たまたま時代の流れの中でこのような死に方をしたのだと考えます。しかし十字架に架かることは父なる神のご計画であり、御子イエスが地上へ送られたのは、イスラエルの歴史の中で、キリストが十字架に架かったことを世界中に知らせるために最もふさわしい時が選ばれたのです。ですからイエスの地上での生涯は、十字架に架かるために歩まれたのです。
◆「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(ヨハネ3:14)
◆「人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」(ルカ24:7 )
●イエスの十字架は、次の3つの方向に向かって、掲げられました。まず第一は、父なる神に向かってです。
◆「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。」(ロマ3:25)
「なだめの供え物」とは、人間の罪に対する神の怒りがイエス・キリストの犠牲によってなだめられたことを意味しています。
またイエスの十字架は、第二に悪魔に対して向けられました。
◆「私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」(黙示録12:10)
悪魔は、クリスチャンの罪ある行いを絶えず神に訴えています。それに対し、イエス・キリストは、御自身の十字架のわざが、クリスチャンの全ての罪を赦したものであることを神に確認をしてとりなしてくださっています。悪魔に示されたキリストの十字架は、悪魔も否定できないのです。
そしてイエスの十字架は、第三に世界中の全ての人々に示されました。
◆「大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。…またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。」(ヨハネ19:20 )
十字架に架かったイエスの頭上には、「これはユダヤ人の王」という罪状を書いた札が掲げられましたが、それは、ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語の3ヶ国語で書かれていました。ヘブル語は、主に宗教の世界で用いられ、ラテン語は当時のローマ帝国の言葉で、法律・政治の世界で用いられ、ギリシャ語は、文化の世界で用いられました。すなわち当時の世界中のどの人々にも、聖書が約束した通りに、十字架に掲げられた人物が、「ユダヤ人の王」としてこの地上に来られた救い主(キリスト)であることを示したのです。
●この世界中のあらゆる立場の人たちに公に示されたメッセージは、信じ受け入れる人に確実に効力を発揮しました。それは、イエスの隣りで十字架に架けられていた殺人をした強盗の男によって証明されました。彼は、たぶん彼の生涯の中で、数多くの罪を犯してきたことでしょう。しかし彼は、イエスの頭上に掲げられていた罪状書を見て、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42)」と言いました。彼は、イエスが神の子であることをおぼろげながら知り、その信仰を告白したのです。その結果は、イエスによって「あなたはきょう、わたしとともにパラダイス(神の国、天国)にいます。」という保証を得ました。人は、良い行いの結果によって天国に行くのではなく、イエスを救い主と認める信仰によるのです。この十字架によるメッセージは、今も世界中の人々の前に掲げられています。