2007年 4月 15日(日)

信仰に生きる*1 自分を変える一歩

【メッセージ要約】
●先週、Hさんから電話がありました。いよいよ仏壇を家から取り除く決心をしたので、その方法について相談をしたいということでした。勿論、仏壇はHさんがイエス様を信仰する前に、ご主人を愛するがゆえに購入したものでした。個人の信仰には、各自の成長の程度があり、長い間信じてきたものを取り除くには勇気と決断が必要です。しかしこの度、それを除きたいと自ら決心したのですから、私は電話口で思わず「ハレルヤ!」と言いました。

●今まで大切にしていったものには価値が無かったと気が付いて、それを手放すことはある種の勇気と痛みを感じるものです。しかしそこを乗り越えて主だけを信頼することを、態度や言葉で表現する時に信仰は成長するのです。上の写真を見てください。カタツムリとバッタです。クリスチャンが持っている信仰は成長するものですが、もしその信仰成長の姿をカタツムリやバッタに譬えるとするならば、どちらに似ていると思いますか。歩き方を比べるならば、カタツムリはのろのろと少しずつ前進し、バッタはぴょんと飛びます。また生長の仕方は、カタツムリは卵から生まれた時から大体同じ形で少しずつ大きくなって成虫になりますが、バッタは、ある時期がくると脱皮して大きくなり、またしばらくして大きくなると脱皮するということを繰り返して成虫になります。この両者の違いを見ると、クリスチャンの信仰生活は、カタツムリのように少しずつ前進したり生長するのではなく、問題に直面して、それを契機としてバッタのようにぴょんと飛び跳ねて、次の段階へと進む生長をするのです。バッタ自身が脱皮することで苦しみを感じているかどうかは分かりませんが、以前の状態を脱ぎ捨てるという意味で、クリスチャンの信仰成長は、そのような姿を感じさせます。ですから私たちが、問題に直面していることは、主があなたの信仰を成長させようと備えている時であるということが出来ます。Hさんの仏壇を手放すという決断は、信仰成長のために主が備えてくださった時であったのです。

●旧約聖書のヤコブは、主から愛された人でしたが、すべてを主に委ねるというよりも、自分の力によって人生を切り開こうとする人でした。しかしそのような彼の行為が、いわば自分が蒔いた種を刈り取らなければならないという時期を迎えた時、彼は主の導きに全面的に従うことを選ばざるをえませんでした。また彼の家族や親族も、同じように主以外の神々をも頼っていました。ですから主だけを信じる決意をしなければならなかった時、彼らが持っていた偶像等を捨てて主に従いました。
◆それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記35:2-3)

●2007年度の歩みを始めるにあたって、皆さんは多分主以外に頼るような偶像を持ってはいないと思いますが、昨年までとは異なる自分の生き方を決意しようではありませんか。そこで今年度の羊ヶ丘シオン教会の目標は、『自分を変える一歩』としました。各自が、今までの信仰のあり方を省みて、バッタのように脱皮し、一歩飛び跳ねる信仰のあり方を求めたいと思います。しかしそれは自分が願う通りに飛び跳ねるのではなく、主が聖書の言葉を通して約束していることを信頼して歩み出すということです。そのためには、「賛美」と「祈り」と「みことば」に、今までよりももっと親密に、主との関係を持つことによって進めていきたいと思います。その具体的な方法については、羊ヶ丘シオン教会信徒用の小冊子を作りましたから、それを用いて説明しましょう。
(以下略)