2007年 4月 22日(日)

信仰に生きる*2 父なる神に信頼する

【メッセージ要約】
●羊ヶ丘シオン教会の2007年度目標は【自分を変える一歩】ですが、勿論1年をかけて一歩を踏み出すわけではありません。主が語られたならばすぐに踏み出して、二歩も三歩も主の導きに応えて信仰の成長をしたいと願うのです。そこで今日は、アブラハムの信仰の歩みから学びます。主がアブラハムを召し出した記事は創世記12章1-3節に書かれていますが、これは彼にとって信仰の一大転機を促す主の語りかけであり、また彼の信仰に倣いたいと願う人にとっても信仰の土台となり出発点になる箇所です。
◆創世記12:1-3「その後、主はアブラムに仰せられた。あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
 
●これまで自分の信仰を新たにする契機としてこのみことばに励まされた人は多いことでしょう。しかしアブラハムにとっては、住み慣れた地を離れて主が導かれるまま旅に出ることは、今日の私たちが職場を変えたり、所属する教会を変えたりするようなこととは異なり、水や食料を手に入れることの困難さや強盗などの攻撃から守られなければならないまさに主の守りに信頼した信仰による命をかけた旅でした。ですから「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て」ということは、主に全く生き方を委ねるという信仰が試みられる問題でした。

●では主の語りかけを聞いて、この命をかけた困難な旅を始めようと決心したのは、誰だったのでしょうか。創世記11:31によると「テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。」とあり、メソポタミヤのウルから出発したのがアブラハムの父テラのように見えます。しかし他の聖書箇所に次のような証言があります。
◆ヨシュア24:2 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。』」
◆使徒の働き7:2-3 そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。』と言われました。
ヨシュアとステパノは、アブラハムの父テラは、主への信仰を持っておらず、主からの語りかけを聞いたのはアブラハムであると証言しています。つまりメソポタミヤのウルを出発しようとしたのはアブラハムであり、父はただそれに従ったのですが、家長であるゆえに父が導いたように記述されているのです。そして旅の途中のカランで、父が死んだあと、主は再びアブラハムに主が示す地に行くように促したのです。

●アブラハムは、他の多くの人々が信じていた神々ではなく、「主」を信じましたが、それでも主を十分に知っていたわけではありませんでした。主は、多くの年月をかけ彼に体験をさせながら、主への信仰を培っていきました。
◆創世記12:4 「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。」
口語訳聖書によると創世記12:1 には「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」と親族と別れること、つまり本来ならロトを連れて行くべきではないという信仰的な不十分さはありましたが、彼は七十五歳でそのチャレンジをしたのです。私たちが主に従うということに関して、年齢は関係がないのです。彼は、信仰が試みられるいくつかの体験を通しながら、更に大きく「主」を理解するようになりました。
◆創世記14:19「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方いと高き神より。・・・」
◆創世記17:1「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。・・・」

●更に主は、彼に対してユニークな方法をもって、「主」の存在を教えられました。それは、彼の名前を「アブラム」から「アブラハム」という名前に変えるという方法によってです。
◆創世記17:5「あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。・・・」
「アブラム」と「アブラハム」という呼び名には、それほど大きな違いがありませんが、解釈について大きく2つの意見があります。それは、「高められた父」という解釈と「父を愛する」という解釈です。しかしこの意味を大きく分けるのは、誰によって命名されたのかという点です。

●まず「高められた父」という意味の「アブラム」は、異教の神々を信じていた父のテラによってつけられた名前で、お前は尊敬される父親になるであろうという意味であったでしょう。しかし「アブラハム」という名前は、主なる神ご自身が彼を偉大な父とすることを約束されました。リビングバイブルには次のように書かれています。
◆創世記17:5 LIB「もう一つある。 わたしはおまえの名前を変えようと思う。これからは『アブラム』〔「地位の高い父」の意〕ではなく、『アブラハム』〔「国々の父」の意〕と名のりなさい。実際そうなるからだ。宣言してもかまわない。」
主は、アブラハムに対して、「わたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。(創世記26:4)」 と約束されました。主は、アブラハムから出る多くの子孫によって、世界中に祝福をもたらす源となることを、「アブラハム」という名前によって確約したのです。

●もう一つの「父を愛する」という意味では、「アブラム」は彼が父テラを愛し尊敬するという意味でしょう。日本名で「孝行」という名前に似ているかもしれませんね。しかし神が名づけた「アブラハム」とは、父なる神を愛するという意味になります。創造主で全能の神である主を愛するならば、主はあらゆる力とよきものをもって守り満たしてくださいます。今日、主を信じる人は、「クリスチャン」と呼ばれています。クリスチャンとは、イエス・キリストと同じようなことをする人のことです。イエスは、父なる神を「アバ、父よ。(マコ14:36)」と呼ばれ、主を愛し親しい関係を保たれました。ですから「私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼び(ロマ8:15)」アブラハムの信仰に倣う者になっていきましょう。