| 2007年 5月 16日(水) |
誰の罪のために?
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●昨日のイスラエルの新聞『エルサレム・ポスト』によると、EUの人々に行った意識調査では、「ユダヤ人にはキリストを殺した罪がある」という考えが、今日でも根強く持っているということが判明したそうです。それゆえに、イエスを十字架につけることにユダヤ人が直接的にかかわったとして、クリスチャンを自称する人々によって、多くのユダヤ人たちを殺すことを含めて迫害したことは、歴史上の事実です。しかしここで一つの疑問が起こります。それは、もし自分はクリスチャンだと思っている人が、この理由のゆえにユダヤ人への迫害に加わったり、また迫害をすることに賛成の思いを持つならば、その人のイエス・キリストによる救いは本物なのかということです。
●それはなぜかというと、「キリストを殺した罪」がユダヤ人にあるとするならば、本当はキリストは殺されなくてもよかったのに、ユダヤ人によって殺されてしまったという考えが背後にあるからです。イエスは十字架にかからなくてもよかったのに、無理やり十字架に架けられたのでしょうか。十字架に架かるのは、イエスの意思ではなかったのでしょうか。この質問に対する答えは、「イエスご自身の意思で架かった」のです。イエスを十字架につけることに、ユダヤ人がかかわろうとも、ローマ人がかかわろうとも、イエスは十字架に架からなければならなかったのです。もしイエスが十字架に架けられることが父なる神のご意思でもなかったら、幼子イエスがヘロデの手から逃れたように、神は十字架刑からイエスを逃れさせたことでしょう。しかし神はそうされませんでした。イエスご自身が次のように言っています。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。(ヨハネ3:14)」 これが神の計画であり、神の子イエスが地上に誕生した理由なのです。
●聖書の中からこのことについて見てみましょう。イエスからご自身が十字架に架かって死ぬということを告げられた時、ペテロは、「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。(マタイ16:22 )」と否定しました。その言葉に対して、イエスは、「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。(マタイ16:23 )」と彼を叱っています。イエスが十字架にかかるべきでなかったという考えは、神のご計画を実現しないゆえにサタンの考えなのです。イエスは、十字架に「架けられた」のではなく、ご自身で神の計画を実行するために「架かった」のです。それによって人類の罪の贖いをしてくださったというのが、キリスト信仰の中心です。別の表現をするならば、自分の罪の神への贖いを必要とするすべての人が、神の御子イエス・キリストを十字架につけたのです。ですからキリストを十字架に架けたのはユダヤ人であって、自分ではないと考える人は、キリストの救いに与ることはなく、ユダヤ人を裁くことによって、自分自身が神から裁かれ、キリストによる神の救いを受けることはないのです。