| 2008年 3月 8日(土) |
献金にあらわす信仰
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●私たちの生活には、経済的な支えが必要ですが、クリスチャンには、それがどのように満たされるのでしょうか。主は「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と祈りなさいと語られました。ですから私たちは、生活の必要を主に願い求めることができ、また主は求めに応えてくださることも知っています。 しかし実際上、貨幣経済を持っている今日の私たちは、その日の朝になってから、朝食を与えて下さいと祈り求めることはまずありません。給料生活者であっても、自分で仕事をして生活をしている人であってもその日の朝に朝食の糧を求めるというよりも、1ヵ月や1週間というある程度の期間を見通した上で、主に生活が支えられていることを感謝しまたその必要を求めます。
●私たちを愛して下さっている主はその日その日の必要を毎朝求める人にも応えて下さる方ですが、長期の見通しの中でも、私たちの生活が支えられるように主に求めなさいとも語っています。
◆「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」(箴言3:9、10)
「倉が豊かに満たされる」とは、今 経済的な必要を実際に手にしておりある期間の生活は守られているという平安があることを意味します。ですから私たちは、毎日の糧を求めるように、日々主に信頼するとともに、長期の見通しの中で、主の守りを信じて歩むことも大切です。長期的な主の守りの約束について注目すべき言葉は、「そうすれば」です。つまり主への「信仰」は、心の中の事柄なのですが、また実際に行動が伴わないものは、しっかりした信仰ではありません。ですから「あなたの財産とすべての収穫の初物で主をあがめよ。そうすれば、・・・・・」 と語られているのです。
●今私たちが、自分の手の中にあるものを主に捧げることは、このみことばを受け入れて従ったということによって、主を「あがめ」礼拝しているのです。このように私たちの実際的な行為によって、主は私たちの心の内にある信仰を見て下さいますし、私たち自身もそれによって自分の信仰を確認することができます。
●私たちの「初物で主をあがめる」という行為は、実際には「献金」という形で行われるでしょう。『什一献金』『席上献金』『感謝献金』等は、目に見えない主への感謝と信頼を示す「主をあがめる」礼拝の行為です。また私たちは、「献金」という行為によって自分に与えられている財産と収入の真の所有者が主御自身であることを認め、私たちに託されているそれぞれの財産の管理について主の守りと導きを求めて、いつも忠実であろうとするでしょう。