2008年 4月 3日(木)

心に留める

●イエスが12歳の時、過ぎ越しの祭りを祝うために、ガリラヤから両親と共に、神殿があるエルサレムに行きました。そして祭りの期間を過ごしてから、両親はイエスが他に一緒に来た人たちと共にいるものと思い、帰路につきましたが、途中でイエスがいないことに気づき、またエルサレムに戻りました。そして散々探し回った後に、神殿にいたイエスを見つけました。その後の記事は、次のようなものです。
◆ルカ2:49-51 「するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」
ここには、明らかに自分が神の独り子であることを認識していたイエスと、イエスは聖霊によって生まれた事実を見ているのに、イエスの立場を十分に理解していなかった両親の姿があります。
●ここに重要なことばがあります。それは、「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」という記述です。私たちは、信仰年数がどんなに多くても、聖書に書かれていることや神のみこころをすべて知ることが出来る人はいません。そして度々「なぜ?」とか「その意味は?」と思う事柄に直面します。その時に大切なことは、分からないから放棄するとか、自分の考えで安易に結論を出さないことです。分からないことは、分からないとして「心に留めておく」ならば、ある時、ふと理解に導かれることがあります。神に関することは、今分からなくても、心に留めておくことが大切です。