2008年 6月 11日(水)

ビミョ〜論/2

●昨日に続いて、「キリストを知らずに死んだ魂が、死後の世界で福音を聞いて回心し、救われる機会ははたして与えられるか?」という問題に回答しているK師の著書『聖書的セカンドチャンス論』に触れます。この中で、キリストへの信仰をもたずにすでに亡くなった先祖である「祖父や祖母」の救いの機会を、聖書は約束しているのかということについての問題です。
●K師は、先祖である「祖父や祖母」の救いに関して、一人の信者を通して、先祖や子孫にまで祝福が届くということを、次のように説明しています。

「『わたし(神)を愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す』(出エ20:6)
私はこの『千代』には、単に子孫だけでなく、先祖も入っていると考えています。なぜなら聖書に、
『主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた」(申命10:15)
と記されています。すなわち子孫が選ばれたということは、先祖が神の愛の中にあるということです。・・・私たちクリスチャンも神に選ばれ、神の民に召しだされた者です。そうであるなら、私たちの先祖も神の愛の中に置かれることになります。」

●さていいでしょうか。なにかみことばによって説明されたような感じがしますが、気をつけて読んでみてください。出エ20:6の文を普通に読むならば、神の命令を守る者から、恵みが始まって子孫千代にまで及ぶと書いてあるのではないでしょうか。そして次に申命10:15は、主が最初に愛されたのは先祖たちであり、先祖から及んだ恵みによって後の子孫が選ばれたと説明しています。つまりどちらのみことばも、恵みの流れは子孫に向かっており、先祖にさかのぼってはいません。私は、神の愛や恵みは、先祖に及ばないと言っているのではなく、このみことばの引用では、クリスチャンを通して先祖にまで恵みが及ぶということを説明していないということです。そのようには書いていないみことばをもって、そうであるかのように説明するのは、間違いであり、“ビミョ〜”な教えに導くことになります。