2008年 6月 12日(木)

ビミョ〜論/3

●3日間続くことになったK師の著書『聖書的セカンドチャンス論』ですが、我慢して今日も読んでください。
K師は、聖書の登場人物の中で、「セカンドチャンス(死後に回新心して救われる機会)」を信じていた人の例として、次の聖書個所からヨブを挙げています。

ヨブ記
14:13 どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、わたしのために時を定めて、わたしを覚えてください。
14:14 人がもし死ねば、また生きるでしょうか。わたしはわが服役の諸日の間、わが解放の来るまで待つでしょう。
14:15 あなたがお呼びになるとき、わたしは答えるでしょう。あなたはみ手のわざを顧みられるでしょう。
14:16 その時あなたはわたしの歩みを数え、わたしの罪を見のがされるでしょう。
14:17 わたしのとがは袋の中に封じられ、あなたはわたしの罪を塗りかくされるでしょう。

そして次のよう説明をしています。
「ヨブがこの地上における激しい苦難を受けたのち、唯一望みを持ったのは、死後のセカンドチャンスだったのです。」

●つまりK師の説明によると、ヨブはまだ救われていなかった人物ということになります。しかしそうなのでしょうか。主は、ヨブに対して次のような評価をしています。
◆ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
ヨブは、「わたし(主)のしもべ」であり、彼以上に神の前に正しい人がいないというのですから、彼が救われていないとするならば、彼の時代の誰も救われた人はいなかったということになるでしょう。しかし救われていたヨブが、「わたしを陰府にかくし(てください)」と言ったのは、地上での苦しみの生活をするよりは、死んで「陰府」の「慰めの場所」にいる方がいいと考えたのであって、イエスが復活して昇天するまでは、救われた者も「陰府」の「慰めの場所」にいたのですから、このようにヨブが言ってもおかしくありません。K師はなぜこのように考えたのでしょうか。“ビミョ〜”な教えです。