| 2008年 6月 20日(金) |
ビミョ〜論/5
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●新約聖書が語る「御霊の賜物」については、クリスチャンの間で未だに見解の相違がある。それゆえに、ある聖書の解説に次のような文がある。
「キリストが再臨していない、現在の不完全な時代には、成長の段階がある。キリスト教会の発足当時は、まだ未成熟な時代であり、教会の成長と確証のために、目を見張るような、御霊の賜物による働きが必要であった。しかし、新約聖書が完成した今は、そのような賜物の必要性は消えた。」
読み終わって、この文章は本当なのかと疑問に思う。すなわち最初の一文には賛成であるが、次からの文ははたしてそのように言えるのかと思うからだ。信仰的に未成熟な私たちは、確かに成熟を願って信仰生活をおくる。しかしふと今の私たちは、初代教会の人々よりも信仰的に成長しているのだろうか、あるいは聖霊の賜物を必要としないほど成熟しているのだろうかと考えると“ビミョ〜”である。1日で「3000人ほどが弟子に加えられた。(使徒の働き2:41)」という初代教会の働きは、「目を見張るよう」であったろう。しかし少なくともクリスチャン人口が、1%を切るという今日の日本においては、教会が成熟したから、「御霊の賜物」の必要性はないとは言えないし、言いたくはない。「そのような賜物の必要性は消えた。」と思う人々の間で神は御霊の賜物の働きをすることはないであろう。はたして今日の日本のクリスチャンの信仰は、成長し、成熟したと言えるのだろうか?