2009年 1月 1日(木)

キリストに召された

●新年明けましておめでとうございます。
多くの人は、新年の始まりにあたって、新年の抱負を持つことでしょう。そして神社に初詣に出かけ、その目標を神々に願います。
クリスチャンは神社に行きませんが、やはり今年の目標を描くかもしれません。あなたの目標は何ですか。
パウロは、ピリピ人への手紙で、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:14)」と語っています。この言葉からすると、彼の願った目標は福音を伝えるという働きであり、彼が寝食を忘れて熱心に伝道した姿をイメージすることができます。また実際にそうしたことでしょう。ですから私たちクリスチャンもそうしなければ・・・・と思う時に、ちょっと考えてみましょう。
パウロは、このピリピ人への手紙の最初の部分で、自分のことを「キリスト・イエスのしもべであるパウロ(ピリピ1:1)」と述べています。聖書で「しもべ」ということばは、「奴隷」という意味です。つまり奴隷とは、自分の思い描く願いを行える立場にはなく、主人の命令通りに働く人のことです。ですからパウロが「目標を目ざして一心に走っている」というのは、彼自身が願う目標に向かって努力しているというのではなく、自分はキリストの奴隷として、キリストの思いを実行しているというのです。彼は、それを意識して、自分は「キリストに召された」という表現をしています。
キリスト教の歴史の中で名を残した人々は、自分がしたい願いではなく、「キリストに召された」という体験の上に働いています。でもその働きは、したくないことではなく、喜びを伴ったものです。たぶん神は私たちに、パウロやマザー・テレサやシュバイツアーと同じ働きをさせようとしてはおられないでしょう。でも私たちは、確かにキリストに召されたのです。そしてその働きの場は、今自分がいる家庭や職場や学校においてでしょう。新しい年の初めにあたって、自分の願う目標ではなく、あなたのキリストの召しにある者としての目標は何でしょうか。