2009年 5月 31日(日)

イザヤ書・人生における私の神/14 主の栄光をあらわす

【メッセージ要約】
●聖書の中には、主が人に「恐れるな」と語っている箇所が、365回もあるといわれており、私たちが日々直面する「恐れ」に対して勝利するように主は励ましてくださっています。また主は信じる者たちに、「わたしはあなたを愛している」ということを意味する言葉を、338回語られています。主は、禁止と勧めの言葉をもって、私たちが日々成長することを望んでおられます。今日の聖書箇所イザヤ書43章1〜7節には、その両方が扱われています。
A 主は、私を贖ってくださったほどに、愛していて下さる。 
◆イザヤ43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。43:3 わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
●「あなたを造り出した」とは、イスラエルの民がここに来るまでに、主は様々な助けをしたという歴史的な事実を説明しています。また「贖う」とは、手に入れる人が、その価値に等しいあるいはそれ以上のものを代償として支払うことによって自分の所有とするということです。主は、バビロニア帝国によって捕囚されていたイスラエルの民を、ペルシャ帝国の国王によって解放するという主の計画を実現するために、やがてペルシャ帝国にエジプトとクシュ、セバを征服させるというのです。
●霊的イスラエルである私たちクリスチャンは、神の独り子イエス・キリストの贖いによって、サタンの支配から解放されました。これは、主の全てをもって贖いの代価としてくださったことを意味しています。主がご自身の全てをもって代価とするほどに私たちは愛され、「あなたはわたしのもの。」と私たちは主に必要とされているのです。そうであるなら、私たちはどんな時にも「恐れ」を抱くことはありません。
B 主は、私を高価で尊いと認めて下さる。 
◆イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。・・・
●主が語る「高価」とは、値を付けることが出来ないほどのものであり、それはイエス・キリストの十字架上の死によって実現しました。私たちは、自分が主にあって高価で尊い存在であると語られても、すぐにはそうだと信じることを躊躇するかもしれません。しかし万物の創造主が、私たちを高価と見て下さり、愛していると語られることを受け入れる必要があります。私たちがそれを受け入れるならば、主がともにおられることを実感することができ、平安を持つのです。
●アメリカのサンフランシスコ湾にかかるゴールデンブリッジは、1,280メートルもの長さを下からの支えなしに架けられた、当時世界一の長さの橋です。またその橋を上から吊るための塔も、水面から227メートルの高さで、作業をする人たちは高所での作業に恐れながら工事を進めました。実際、作業中に落下した人が5名もでました。そこでこれ以上被害を出してはならないと、落下しても途中で受け止める安全ネットを張りました。するとなんと、それから後落下する人は、1名も出ませんでした。それは作業員が「恐れ」を抱いている時は、本来出来ることであっても失敗することがありますが、守られているという安心感がことを成功させるのです。
C 主は、私を通して神の栄光を現わして下さる。 
◆イザヤ43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
●あるクリスチャン家族が、グランドキャニオンに行きました。息子は壮大な景色を見て、「この風景は、神様の素晴らしさを表しているね!」と感激して言いました。すると父親は、「もっとすごいものがあるよ」と言うので、息子は「この景色に優るとしたら天国かな」と答えました。父親は、「確かに天国は、神様の栄光をあらわしているけれど、その素晴らしいものとは、お前だよ」と言いました。驚く息子に父親は、「神様は、ご自身の全てであるイエス様をもって、お前を贖ったんだ。神様は、それほどの期待をもってお前が神様に栄光をお返しすることを願っておられるんだよ」と言いました。
●主は、ご自身の栄光をあらわす者として、私たちクリスチャンを新生させてくださいました。私たちが主の栄光をあらわさなければならないと聞くならば、自分にそのようなことができるかと不安になります。しかしみことばは、次のように語ります。「エペソ 2:10(英訳LB) 私たちを今ある姿にお造りになり、キリスト・イエスによる新しい人生を与えてくださったのは、神ご自身です。 そして神は遥か昔から、私たちが自分の人生を用いて他の人を助けるようにと計画しておられたのです」。主の栄光をあらわすこととは、私たちが接する人々の必要に応えることなのです。マザー・テレサは、自分を必要としている人に応えることが、キリストに栄光をお返しすることとして、次のように語っています。「飢えているキリストに食事をさせ、裸のキリストに衣服を与え、ホームレスのキリストの世話をするために私たちはいるのです。 しかも喜びにあふれ、ほほえみを浮かべながら。 」