2009年 6月 1日(月)

牧師論?/1

●彼は未信者ですが私が仕事を依頼する関係で、時々会って話をする機会があります。しかも彼は、仕事の関係と人生の生き方について真剣に考える人なので、僧侶や牧師ともよく話す機会を持っているようです。彼が来てまず仕事の打ち合わせが終わると、「俺、今疑問に思っていることがあるんだけど・・・」と話が始まります。そうなると、まあそれから4、5時間は、人生論や社会論を話し込むことになります。
●先日も仕事の打ち合わせが終わってから、彼は「牧師って結構信徒の悩みの相談にのって大変なんだね・・・」と、どうやら他の教会で牧師の苦労話を聞き込んだようです。私もとぼけて「確かにそういう点はあるけれど、私は自分で悩みを抱え込もうとしないで、キリストに解決を求めるようにアドバイスするからね・・・」と言いました。彼は、「ほほう・・・なるほどね・・・」と言うので、「いつも牧師に解決を求める信徒ではなくて、自分で考えてキリストへの信仰によって自分で答えを得るように助けたいとは思っている。だからうちの教会のマークに、中心にキリストを描いて、一方には信徒たちである羊と牧師である犬を描いた。・・・」と言うと、「フムフム、犬か・・・」と面白そうに笑いました。そこで更に、「牧師の立場を“羊飼い”と考える人もいるし、“羊の門”と言う人もいるし、“父親”と考える人もいる。中には“王様”と考える人も・・・」と、それから約1時間、『牧師論』を未信者の彼と話し合いました。終わり頃に彼は、「・・・そのように考えると、松原牧師の考えはいいかもしれないな・・・」とぽつりと言いました。