| 2009年 6月 3日(水) |
牧師論?/3
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●以前に、ある牧師から電話で「マタイ28章19節でイエス様は『あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。』と語っていますが、ここでの『弟子』とは誰の弟子ですか? 私の弟子ですか?イエス様の弟子ですか?」と訊かれました。私は、真の羊飼いは、イエス様であるという考えですから、「当然、イエス様の弟子でしょ。」と答えました。すると向こうの電話口では、ちょっと不平そうな声が漏れました。その人は、私の「あなたの弟子ですよ」という答えを期待していたようでした。
●またある牧師たちの会合で、ある人が「宣教というのは、私のような人をもう一人生み出すことですよね・・・」と話しました。私は一瞬賛成していいかどうか戸惑いました。「私のような人」という言葉を、単純に「キリストの救いを得た人」と理解すればいいのですが、その人のような個性を持った人と解釈すれば、そのような人がどんどん増えるならちょっと待ってくれと言いたかったからです。なぜならその人は、どちらかというと“KY”で、度々他の人たちから、「ちょっとその発言待ってくれ・・・」とクレームが入ることが多かったからです。自分をコピーしたような人たちが、教会にどんどん増えていったら、どのような教会になるでしょうか? 牧師は、どのような人を育てるのでしょうか。