【メッセージの要約】
●今日は、まずルカの福音書の13:34-35を拝読しましょう。
◆ルカ13:34-35「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。・・・」
このイエスのことばは、ユダヤ人には厳しい預言となりました。イエスがこれを語られた後、十字架上で死んで復活し、そして昇天しましたが、それから約40年後に、この預言は現実のものとなったからです。すなわちユダヤ人が住む家であったエルサレムは、ローマ軍によって完全に破壊された上、彼らはその地から追放されてしまいました。そして1948年に再び建国するまで、エルサレムは荒れ果てたままに残されたのです。
●このみことばから、私たちがすべきことを学びたいと思います。それは、このように滅びの預言をすることではありません。むしろ逆で、私たちが住んでいる町を「祝福」するのです。なぜならイエスがエルサレムの荒廃を預言する前に、長い間この町とユダヤ人を愛し祝福してこられたからです。イエスは神であって、アブラハムから出た子孫であるユダヤ人を、約束の地に導き、ユダヤ人を愛していつも共におられました。しかし彼らは度々まことの神から離れて別の神々を礼拝することがありましたが、その度に預言者たちを送り、神の愛を示し続けました。しかし彼らは、預言者のことばを受け入れないだけでなく、殺すこともしました。そして今度は、救い主としてこられたイエスご自身を、殺そうとしていたのです。エルサレムが滅びるというイエスの預言は、長い間一方的に注がれた神の愛を拒否した結果に対する宣言でした。
●ここで私が興味深く感じるのは、イエスがユダヤ人の霊的な家としてのエルサレムを、「ああ、エルサレム、エルサレム。」と言い、エルサレムという町にあたかも人格があるように語られているということです。勿論「エルサレム」という言葉にはそこに住んでいるユダヤ人たちを含めていますが、実際、町には1つの人格があるといっていいでしょう。町は、そこに住む人たちによって働きが生み出され、個性を持つからです。町を一つの人格を持った存在と見るならば、どのような考えが生まれるでしょうか。私たちが自分の前にいる一人の人を見た時には、その人の中に欠点や長所を見出すでしょう。そして更にその人を愛するならば、どのような人に成長して欲しいのかという将来のイメージを描くことができます。そして時には欠点について直すことができるように助けてあげることができますが、それよりもまず第一にすべきことは、その人の長所に目を留めて、全体のイメージを描くことでしょう。
●実は先週、私はこの点について反省させられたのです。それは、この教会がある「福住」という地域を、一人の人格ある存在として見ていたかということです。私は、羊ヶ丘シオン教会が地域に根ざす教会でありたいと頭では理解していましたが、「福住」という名前を嫌っていました。「福住(ふくずみ)」という地名は、この近くにある「福住寺(ふくじゅうじ)」からつけられたということは皆さんもご存知でしょう。明治時代に6つの家族によってこの地の開拓が始められましたが、彼らの心のより所として福住寺が生まれました。それでこの教会が、スタートした時、「福住」という地名がお寺の名前に由来しているということで使うことを避け、隣接する「羊ヶ丘」を用いたのです。しかし先日、「福住」という地名が、この地の開拓者たちの願いの表現であったということに気づかされたのです。つまり幸福な生活をしたいという願いの表現が「福住」ではないかということです。確かに開拓者たちは、イエス・キリストに祝福を求めたのではありませんが、幸せになりたいという願いがこの名称を生み出したと思うのです。そこで先月、皆さんと霊的戦いのためにこの地区の「霊的地図」作りを始めましたが、この働きが重要であることを認めた上で、まずこの地の祝福をすべきだと考えます。
●私たちクリスチャンは、もうじき「携挙」されて天のイエス・キリストのもとに上げられますが、その後
再臨されるキリストと共に地上に来ることになります。そして回復された環境の地球で、「千年王国」を過ごしますが、
その時にクリスチャンは、地域を治める王として働くといわれています。
◆Tペテロ2:9「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」
そこでキリストは、次のみことばによって、やがて地上を治める働きの前経験として、私たちが住んでいる地でその働きを行なうように望んでおられます。
◆マタイ18:18 「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐ(禁じる)なら、それは天においてもつながれ(禁じられ)ており、あなたがたが地上で解く(許す)なら、それは天においても解かれ(許され)ているのです。」
ですから霊的戦いに見られる「つなぐ(禁じる)」働きと、祝福する「解く(許す)」働きの両面が行われなければなりません。
●神の国における霊的な働きには、様々な「法則」が働きますが、その一つは『作用・反作用の法則』です。なにか物理学のようですが、「つなぐ(禁じる)」また「解く(許す)」働きについても、私たちが行動を起こすならば、相手から同様の反応が起こるということです。つまり私たちが相手を祝福するならば、相手から祝福が返ってきますし、相手を攻撃するならば、相手からも攻撃を受けることになるのです。「霊的戦い」は悪魔や悪霊を攻撃することなので、防備をしながら十分に警戒をして戦いに臨まなければなりません。その方法については後の機会に語ることとして、今日は、「解く(許す)」という祝福について実践してみましょう。昨日私は、教会周辺の写真を撮ってきましたので、それを見ながら皆さんと共に「福住」地域の祝福を祈りましょう。