| 2003年 12月 16日(火) |
悲しいことが多いのは、自分のことしか分からないからかな。
暮れの瀬になると新聞紙面に必ずといっていい位、自らの命を
絶ってしまう人の記事がのります。
私が新聞を読み始めたのは小学生の頃からでした。その頃から少々おませ
だったのかしら今思うと、人生の悩み事や、医療記事が気になって読んでいた
ものです。その頃から何ら変わらないなと思うのが年の瀬のこの記事です。
人は悲しい目に会うと、人は悲しみのヒロインになりたがる傾向が
あるなと。そんな内容の時に回答者がこんな風に答えていたのが印象的でした。
《悲しみで同情を求めるほどあわれなものはないですよ、悲しんで
はじめて他者の痛みがわかるのですからね、悲しい目に会えばそこから
何か生まれるはずです》うろ覚えですが、こんな内容だったのです。
そのときの相談者の内容は、たぶん失恋の相談だったように記憶してます。
若い頃だったので、自分の中でしっかりこのやり取りが飲み込めなかったことも
記憶してます。
今、ふとこの記憶が鮮明に甦ったのは似たような記事がたまたま目についたからです。
今の私ならきっとこんな風に解釈できるかもしれませんね。
《悲しい目に会えば、そこから人を愛することを学ばなければならないのでは…》
乙女心ははかなくて、悩み多きものと昔から決まっていると言えるは、ちょっと
前までかな、どうも最近では失恋の痛手は男性に多くて割とそんな内容を目に
したり、ご相談されますのは、時代の変化でしょうかしら。
どちらにせよ、自分の痛手が他者への思いやりへと繋がるのならば
沢山人生経験しましょう、そして沢山悲しみも喜びも分け合って
成長しましょうね。私が長いこと自分の病を伏せていたのはこの
「同情」を買うのが嫌だったからかな、そして周囲に心配をかけたくなかった
と言うことです。思いやりは与えることから始めましょうこれが私の大好きな
メッセージのひとつです。