2003年 2月 17日(月)

彼の世に旅立たれた、西田様のご冥福を祈りながら。

 昨晩、訃報がはいりました。長患いの末旅立たれたのです。
本当に長い闘病でした。初期の頃は意識もあったとのことですが
意識を無くしてもうどれほどの歳月が流れた事でしょう。
 私も幼くして母、兄を続けて亡くし、そして気がついてみたら、
長兄、父と20歳前に亡くしました。嫁ついでからは義弟、姑と
その間に若くして亡くなった生徒さん、そして生徒さんの
ご家族の訃報と…。

 悲しい知らせが入る度に思うことが、その御家族の深い哀しみもさることながら
旅立たれていく御本人の想いはと考えると、計り知れない悲しみが
胸を覆い尽くします。残された家族の事や、遣り残したことへの
想いや様々な想いで床に伏せていたことでしょ、その間のやるせない
気持ちをどのように消化していくのか、人の生き様は神様だけが
おわかりなのでしょうね、きっと。

 ご家族の方に慰めの言葉をと思っていても涙が流れるばかりで
むしろこちらの方が勇気付けられてしまいました。
≪きっと母も楽になったと思いますよ。これで好きだったお菓子も
一杯食べれるし、彼の世ではきっと意識も戻ってくれていると
信じてますから≫と。

 自らの命を絶ってしまう人が年々増えている昨今、生きていたいと
懸命に病と戦っている人もいます。どうか時間の許す範囲で
己の「死生感」と向き合うのもいいと思います。

 なぜかといいますと、私の経験からですが、この世から彼の世へと
旅立った人への想いは、残されたご家族の心情を察するに
三途の川でしっかりお別れが出来ないと、旅立たれた方もそして
残された親族、友人その他の方も深い悲しみの淵から立ち直れない
ケースが最近見受けられます。

 私は幼い頃からよく、父母からこんな風に教わりました。
 父の口癖でした。≪悲しみの淵に何時までも居ると
亡くなった人はもっと哀しいんだよ、この世に居る人が
幸せで居る時、空から亡くなった方の魂は嬉しそうに見ているんだよ
だから手を合わせるときはこう心で、呟きなさい。
 どうか、御霊が安らかに御眠り下さる事を、心よりお祈りいたしますとね≫

 今でも私の毎日の日課となっています、この言葉を心の中で
呟くのが。そしてこう付け加えるのです。
 ≪私はとても幸せですから、どうか安心してくださいね≫と。
 
 では、又明日。彼の世もこの世も素敵な一日でありますように。