| 2003年 2月 23日(日) |
盲点てどんな風にとらえますか?
同じ言葉でも不思議と沢山の意味を持っていますね。
私の場合は、若きし頃に英語と言う外国語を学んだせいか、1つの言葉の
持つ意味がたくさんあることを、辞書を毎日擦り切れるほど捲っていたので
言葉とは直訳すべきものと、意訳した方がいい時とがあるんですと言う事を
外国語を通して勉強させて頂きました。
時に通訳の仕方で戦争が起きる事もあるんですよ、と先生に教わりました。
今、丁度NHKで、アメリカ、イラクその他諸外国の問題について討論会を
放送していました、そこには外務大臣をはじめ、東大のお偉い学者さんも。
そして先日国連で行われた会議で、日本の国連大使が述べた内容について
外務大臣に、もっと日本ははっきりと述べるべきだと言う意見と、外交研究家の
とあるA−MENが英語での意見と、日本語での意見の表し方が、違うのは
誤解を受ける又は国民を惑わしていると、言った詰め寄り方をしていましたね。
と言う政治の話がしたいのではなく、言葉の意味は受け取り方次第という
曖昧さもあるんですよと、伝えたいのです。それがどうして「盲点」と
言う言葉なのかをこれから書き記してみましょうね。
≪盲点≫とは本来の意味から考えると、「盲」とは目に見えない事です。
だから「盲目」と言う言葉もあるんです。そしてこの「盲目」に至っては
あまり、いい表現で使われない時がしばしありますね。例えば「盲目の愛」
良い意味でも取れるかのように思われますが、「盲目の愛」と言うのは
もっと冷静に見つめてみてはと言う意味合いももっているのです。
では「盲点」はというと、「見えにくい観点、又は物事がよく見えてない」
と言う意味もがあるんです。例えば「ここが、盲点なんだよね、だから今なら
…」と言った感じでも使われますし、他にはどんな時に貴方なら使っていますかしら。
「盲点」自分から見えるようで見えない観点、逆に相手の「盲点」をつくと言った
ふうに自分でもあったり、他者でもあったり。使い方次第では受け止め方は
変化してくるはずです。しかし昨日私はこんなふうに「盲点」という意味を捉えて
みたのです。
まず相手に対してでは無く、自分自身の「盲点」に着目すべくなのではないかしらと。
一番「盲点」を持ち合わせているのは自分であって他者ではないという事なんです。
人はとかく、相手の盲点ばかりを探そうとしたがります。
しかしこれこそが、相手から見られている「盲点」なのでは。
すなわち「盲点」とは、「弱点」にも変わりえることで、一番の「弱点」は
己の心の中に宿っているのですから、その「盲点」こそが自分の足を引っ張るのです。
人の「盲点」を探す前に自分の「盲点」を己の心の中から拾い上げて見ましょうと
感じました。こう考えると毎日、暇してられないですよ。