2003年 2月 27日(木)

女太閤寧々の続きから。

 日めくり日記に「寧々の続きを教えてくださいと」とのリクエストが
有りましたので、「頂門の一針」の続きを一下り。

 秀吉は大明国の戦が思わしくないので少々、はぶてて(すねて)いました。
茶々姫の産んだ「お拾い」のことで既に関白の座を与えていた甥の秀次が
跡目の座を失うのではないかと不安に駆られている最中、これもまた
はぶてているのです。このままでは豊家の結束は崩れていく不安に
秀吉も又どうしていいかと戸惑っているのです。自分の威信を崩す事も
出来ず、と言って「殺生関白」と言われている秀次に対し苛立ちを
隠せないのです。さあここからがイメージトレーニングの世界へと
皆さんをお連れしましょうね。

 こんな太閤秀吉に「女太閤寧々」はどのように諭したと思いますか?
 少し目を閉じてね。


≪まことのことを申し上げているだけでござります。ほかの大名衆や
家来たちは、みな追従七分でまことは三分、それゆえせめて寧々だけでも、
まことのことを申し上げようと…そう決心してから久しいもの。
まことのことを聞かされるは恐ろしゅうござりまするか≫

 今まで何を言ってもただ喚き散らしていた秀吉も
さすがにこの文言にはどうも、グーの音も出なかったのです。
そこで秀吉は思案の方向を変えてみて始めてドキリとしたのです。と
なったのです。

 30年連れ添うてきた、妻の諭しに思案の方向を変えることで
過ちを犯さずにすむのです。しかしこの時、何時までも男の体裁や
面子、今風に言うとプライドかしらそればかりに囚われていると
誰の文言も「馬耳東風」となるわけですね。

 これは今の時代にも同じ事が言えるのです。互いにたがいの
諭を素直に耳を傾けていたら、人生の方向をほんの少し変えるだけで
新しい発見と素晴らしい未来を見つける旅が始まる事もあるのです。

 戦国時代を収めた秀吉の影には常に寧々の力が、昔で言う「縁の下の
力持ち」があったのですね。
しかし寧々はいつまでも「縁の下の力持ち」ではなかったのですよ。
禁裡から従一位を授かっていたのです。
縁の下の力持ちはちゃんと周囲が認めていたのです。

 と言う事で私が本日感動したのは、妻だからこそ一番きついことも
言えるのです。逆に夫だからこそ…
そして思案の方向性を変えて物事捉える習慣を身に付けておきたいですね。