2003年 2月 3日(月)

真の心の安堵とは何か考えてみた事ありますか?

 久し振りにゆっくりと読書タイムを得る事ができました。
今、読んでいるのは夏目漱石の「夢十夜」と言う短編集なのですが、ともすると
やはり「徳川家康」を手に取っているのです。どうも読みかけの本があるのが
気がかりで、つい「夢十夜」を一編よんでは、「徳川家康」に戻ってしまうという
意外と几帳面な気質が出てしまうのです。と言うのは前置きにして、今日読んだ
何ページかの中で「五臓六腑」に染み入ってしまった文を引用しながら
今宵の日記を書き記してみましょうね。

 何故このタイトルをつけてみたかと言いますと、豊臣秀吉が朝鮮半島を
経由しながら、中国、当時の明国に向けて進攻しようとしている場面で、
秀吉のお母さんの大政所がつくづくと正室のねねに、生まれもって戦好きと
称して我が子を案じるくだりなんですが、とうとう心労の為倒れてしまうのです。
 その看病をしている、正室ねねが姑を見つめながらこんな思いにしたっている
シーンを想像しながら読んでくださいね。

 …嫁の勤め……と、言う気持ちではなかった。(省略)1人の「女の一生…」が
しみじみと、胸をえぐってくるのである。秀吉は、「日本一の孝行者…」と
信じきっている。この母のためなら欲しいもの、与えるものはみな与えた…
そんな気で戦局の好転に没入しているに違いない。しかし、果たしてこの母は、
欲しい物をみな与えられた果報この上ない女であったろうか…?
 (ここでねねは、自分の実の母親とくらべてしみじみとおもうのである。
ねねの母についての 詳しい記述はないのですが、思うにきっとこの
秀吉の母に比べたら平凡な暮らしぶりだったのではないだろうか)
 
 そしてこう続くのです。
「人間には、物質や権力ではどうにもみたしようのない一面が、
輪廻の糸のでしっかり結びつけられている…その意味では秀吉とても同じであった。
 ただ秀吉は、その哀しい反面を、自分の内に捕らえようとはせず、外の
征服におきかえて、自分をあざむいているだけだった」

と文章は次の章へと続くのですが、何ともほんに「五臓六腑」に染み入って
ござる。何だかとっても今の私達を取り巻く世界情勢や、日常の
心の渇きを衝いているのではと、読むにつれ、ため息が出てしまいました。

 真の心の安堵とは、一体人がどんな状況下の時に感じえるのか、又1つ
課題が増えてしまいました。しっかり考えて悔いの無い人生設計を
描きましょうね。