| 2003年 7月 12日(土) |
心身一対(たい)又は心身一体。
こんな言葉が何故かふっと湧いてきてしまったのかは不明です。
ただ昨日車中で読んでいた「徳川家康」の15巻にやたらと
豊臣秀吉が登場するのです。それは秀吉が人生の
終幕を迎えようとしている場面でこんな1章節があったからかな?
「歩かせれば強いが、とどまらせてはならぬお人……」
これは家康が秀吉の末期を共に付き合うことに決めたときの
感想みたいなものなのですが。
何故か自分と重ねてしまったのです。私だけではなくこんな風に
ガムシャラに仕事一途に猪突猛進している人なら、ひょっとしたら
自分もと感じているのではないかしら。
私なりの解釈でいきますと、仕事になると、もてあますほどの
力を発揮するのだが、ふと思いとどまると心にポッカリと
虚しさが訪れるそんな感じで捉えて見たのです。
そんな時ふと沸いてきたのがこの言葉です。
「心身一対、一体」要するに心と体のバランスが取れてないと
人は諍いごと、心のトラブル慢性的疲労感etc。
様々な悩み事に陥る、すなわち自分で落ちていく、ここが
肝心なんです。落とされると人はとかく錯覚しがちですが
本当のところは自分が、自ら落ちていくのです。しかしそれを
誰かのせいにしたくなる。その時はときすでに遅いかな、そんなことは
ありませんが、人はよくこんなことを言いますね。
「時が解決してくれる」でも時は確実に進んでいるんです。
気づかなければ時に人生の「時」は止まったままなのです。
本日実を申しますと、「人生指南」をお願いしますと
軽い気持ちでお会いした方がいたのですが、私は迷うことなく
この言の葉をプレゼントしました。
ただし、この「一心一対、一体」は私が作ったものです。
どう皆さんが捉えられたかは感想をメールでレスして下さったら
嬉しいです。
もうひとつ、プレゼントさせて頂きました。
「失ったときを取り戻すのに、人は倍の時間を費やさなければ
もどらないんですがね」思い当たる節がある方、ちょっぴり
ごいっしょに考えて見ませんか?