| 2003年 7月 16日(水) |
素敵なメールを頂きました、本日はその方にプレゼント(^f^)
頂いたメールはある日の「花屋の爺さん」という詩をご紹介
させて頂いたときのことでした。「ズキンと来る詩をこれからも
紹介してくださいね」と言う内容です。
私はいつもお散歩をしているときに感じるのです。
四つ葉のクローバー探しにクローバー畑に足を踏み入れるときです。
こんなに沢山あったら探すために沢山のクローバーを踏まなければ
ならないんだけど辛いなーと…でも仕方ないかと言い聞かせながら
出きるだけ外側からクローバが無い部分に足を置くような形で。
時々自分で恥ずかしい位のへんてこりんな格好で。
そんな私の気持ちにぴったりだった詩をこの方にプレゼント
《芝草》
名は芝草というけれど、
その名をよんだことはない。
それはほんとうにつまらない、
みじかいくせに、そこら中、
みちの上まではみ出して、
力いっぱいりきんでも、
とても抜けない、つよい草。
げんげは紅い花が咲く、
すみれは葉までやさしいよ。
かんざし草はかんざしに、
京びななんかは笛になる。
けれどももしか原っぱが、
そんな草たちばかしなら、
あそびつかれたわたし等(ら)は、
どこへ腰かけ、どこへ寝よう。
青い、丈夫な、やわらかな、
たのしいねどこよ、芝草よ。
これってアレンジメントにもっとも近いトンネルのような
ものを感じてならないんです。
「素敵な花、皆が喜ぶバラばかり、
そんなバスケットいっぱいのアレンジよりも
目立たない、ちっぽけな花もたくさんいれて
誰かにあげたい、私のアレンジメント」
これ私の下手な自作です、ご勘弁を。
人生に繋がるんです。アレンジメントも、
芝草があるからいいんだよね、公園もいまでは
原っぱとは言わないのが寂しいよ。
昔はいっぱいあったとさ。