| 2003年 9月 10日(水) |
貴方の中でどこまでが妥協点とは、何割までなら許せますか。
昨日のレッスンで少し厳しいですが、二人の生徒さんに同じテーマを
与えて器も、ほとんど同じイメージの器、大きさ、形、ただし
用途が違っていると言うだけで。
こんなレッスンはあまりしません。なぜなら人によっては
大変傷つくことがあるからです。それは比較論で講評することに
なるからです、ただしときたまあるのですが、その折には
予めお断りをしてからレッスンを開始していただきます。
又いやならば、変更することもあります。
昨晩の生徒さんは私の主旨をよく理解してくださる方達だったので
あえて試練と言うことでしていただきました。
講評の時、こう言う時はまず自分自身で自分の作品の講評を
していただくのです。この時にテーマに沿って、今回の作品は
こうあるべきだったのが、思うようにこの部分が入らなかった
でも以前よりは、多少の進歩が…。こんな風に始まります。
キャリア組みになると非常に良くご自分の作品を観察できていて
ほとんどがまことその通りとほめてあげます、作品の出来具合とは
別に。しかしこう言うときに必ずといっていい位、皆さん謙遜するのです。
これが日本人のよいところでしょう
でも私はこんな風に昨日は講評しました
《自分にとってやや厳しい評価点を出しすぎてませんか、
皆さんが見て、とても素敵ですよ。こんな風にあんな風にと言って
下さったら自分のテーマとしての評価点とは別の部分でもうひとつの
評価点をつけられるといいですね。これからは、そんな作品の
見方も出来るようになりましょう》と。
この傾向は年にかんけいなくあるのです。
資質の部分も大いに関係するのでしょうきっと。
自分を苛めるほどの高い妥協点をはなから、持ち合わせるよりも
人生妥協点は少しづつ挙げていくほうが良いかと思います。
長年の経験から言いますと。何かの参考になれば幸いです。