| 2004年 1月 16日(金) |
時間だけは平等です。
人が生まれたその時から与えられたもの、それは時の流れではないでしょうか。
衣食住は、自分で幼い頃はコントロールすることが難しいものです。
だからこそ親が育てていく義務が生じるわけなのですが、なぜか昨今では、
それすら与えられない悲しいニュースが多いですね。
新年早々幼児虐待の死亡記事が載っていたのは心が痛むところです。
そして世の中は皆が口を揃えて言わんとするところが、平等…
確かに様々な権利の中には憲法で守られているところの平等が保障されなければ
ならないのですが、ままならないからマスメディアが取り上げるところの
「平等論」が飛び出してくるのかしらね。と言う難しい話題に触れたいわけでは
ありません。
というのは私もこの平等に時として頭を痛めるという単純な行為に遭うわけでして
それは子どもの成長の中に必ず出てくるのです。
皆さんもきっと一度は経験すれのよ♪ではないのでが、自分はなぜ兄弟と同じ
待遇を受けていないんだろうか…きっと一度はあるはずですよ(^^)
だって私もありましたもの。まず兄弟が多かったせいか、母や父が亡くなったときに
どうして私だけが幼いの、大人になってないのになんで…
他の兄弟をよく困らせたようです、笑えるでしょう。
しかし今親になってみるとこればかりは、どうにもこうにも本人は様々な病と
闘って頑張っているつもりでもお迎えはくるのでしょうと、覚悟を幾度きめたことでしょうね。
そして今これだけははっきり言えるのです。
生まれた時から人に与えられた平等とは、時間(とき)しかないのではないかしらと。
そしてある時からは、この時間は自分の中で作っていくものなのだと。
科学の定めた24時間×年数はあまり意味しなくて、どう生きていくのか
どの自分の定めた時間を使い切るのか、それが一日の単位なのか、一年の単位なのか
うん十年の単位なのか、その使い方こそが人生なのではないかしら。
その時間を短いと感じるのか、長いと感じるのかすべからず己が感じとるものでは
ないかしらね。
私にとって人生における平等に与えられた権利とは、この時間だけが
好きに使える平等なんです。
その定規は人と人の間にあってこそ活かされるものですね。