| 2004年 3月 2日(火) |
心の落ち着きについてシリーズでお送りしましょうかな?
2500年前の哲人セネカより。
主人公相談者は、田舎から大都会に出てきましたが都会の華やかさ
そしてぜいの限りを尽くした街づくり、大富豪達の生活ぶり、それに比べて
自分の生きて来た道筋に対しての落差に心が落ち着きません、そんな内容の
書簡に哲人セネカが懇切丁寧に返信していると言う場面を想定してくださいね。
彼はこの若き青年にこう送っているのです。
「田舎からやってきた若者が皆体験するような心の不安状態、田舎にいたように
質素な暮らしをしようと、心がけているが、きやびやかに着飾った奴隷達を
従えた金持ちの華麗な行列を見たり、豪華な屋敷を見たりすると心が
動かされて、自分もあんな暮らしをしたいと思う。
田舎で質素でつつましい暮らしをしてきた自分に、大都会の贅沢や豪華さの
輝きが流れ込み、四方八方から音をたてるので、目がちらちらしないわけにもいかない
そして贅沢な暮らしの方がいいのではないかと言う思いが頭をもたげる。
初めは、どの選択も良く見えるが、次にどれも自分にはできそうにない高望みに
見える。そんな心の動揺の繰り返しで、嵐に襲われているのではないが
自分はいつも船酔いのような状態にいる。」
ココでの自分とは相談者である田舎出の若者のことです。
心の落ち着き、セネカは此処で「当時の心の病人とは…」こんな風に
表現しているわけですが、私から見るとこれは何ら現代の風景と
代わりが無いのではないかしらと思ったのです。
なぜ本日この内容でお送りしているかといいますと、これから卒業を
迎えた若者たちが都会に大勢出て行くのです。我が娘がそうであったと同様に。
そしてこれに似たような経験を多かれ少なかれするのです。
これが不思議と若者だけの現象ではないのが現代人特有ですね。
今は大人も子どもも、周囲との環境の違いに落ち込んだりして自分を
受け入れることなく妙な自信と過剰な期待を周囲に抱いたり、要するに
本人自身がありのままの環境を受け入れることなく慌てふためいて「軽い
船酔い状態の心」このフレーズに感動しました。
すばらしい表現だなと。
都会育ちの私でも羨望に値するリッチマン達をたくさん見てきましたが
私は自分もああなりたいと思ったことが記憶にないのです。
今思えばそれが効を奏して、心の落ち着きを年相応にもてるのではないかしらと
おもうのです。
隣の芝生は青く見えるとはよくいったものですからね。
なぜよく見えるのか、それはね「自分の人生の構造を知ることで明かされるのですよ」
と私もそしてセネカもお届けしたいのです。
さあ、本日の57577は
「我が道は 誰のものかな この春に 見つめてみよう 時間をかけて」
今日も字余りがありませんように。(^o^)