| 2004年 6月 30日(水) |
出来ない理由をならべて成功したひとはいないそうです。
どうして途中で足をとどめるのだ
あんなに感動して光っていたのに。
何につまづいてしまったのだろう
出来ない事情を理由にしてしまったからだ
その逃げから立ち直るためには
《出来ている小さな事実》をみとめ
前むきに歩みだすことである。
そしてこの古本にはこんなメモが添えてありました。
何も出来ない日頃あれこれ思います。
人が読んだ本には時々こんなメモがついています、
なぜかその人の心が伝わってくるのが嬉しくなるのは
私だけかしら。
ということで私もある青年に本を貸し出したところ
《いっぱい線が引いてあったり、メモ書きがあったり
何だか面白かったですよ》とひと言添えて返却してくれました。
と言う本人はまだ借りているご本をお返ししてません、もう少しだけ
待ってくださいね。
昨日の学園でのレッスンである青年が将来の不安を素直に打ち明けて
くれました。
その時私はこれに近いことを伝えたのです、自分の人生の挫折を
交えながら。
最後に彼に伝えたのは《挫折をダイヤモンドに替えるのは自分自身だよ、
そして今の彼方は原石だから》と伝えながら、では自分自身で
答えを導き出せるように話を展開してみたら彼はこんな風に。
《解ったような気がする、自分に自信をまずもつことだね、
そして今を考える前に、卒業までゆっくり時間をかけて考えなさいという
ことだね》と返してくれました。
光とは何時までも光りつづけることが可能なのです、なぜならば
光る原石は、心の中から発光するものだから。と私は思います。
理由を並べる前に理由を心の糧にしてしまいましょうというのは
少々年期がかかりますが、少しづつでいいではないですか、
30年かかってもそれ以上かかっても、づーっとすこしづつでも
光っているほうが。