2004年 7月 27日(火)

「花たちには、人格があると思いますか?」


花に人格、とても不思議な表現ですね。あるわけがないじゃないですかと
お答えになるのが普通ですねきっと。
ところが私は、あると感じるのです。

人格と言う表現よりも、むしろ生まれも育ちもそして語りかけてくるという
不思議な物体といったほうがいいかもしれません。
 
 私達花屋さんは、市場で競りをしながら、私の場合は
教室に持ち帰ってくるのですが、
競りと言ってもそれは同じ種類の花たちでも、産地が違って、
生産者の方が違ってくるとまるで違った育ち方をしてくるのです。
 
 例えば先日市場での会話から。
私はある花を競り落としました。ところが隣の花屋さんは《ああ、あれは
駄目なのに》と無碍もなく…
まだまだ未熟な私は《どうして駄目なの、とっても可愛い
お花達でしょう》とお聞きしたら、後ろの花屋さんが
《買ってみれば解るよな》とクスクス笑うのです。

 私はこの産地の、この生産者の、この花たちを競り落とすのは初めて
だったのです。
さあ、教室に戻って、水切りをしながらお2人のアドバイスがどうしてなのか
原因追求をしてみました。
解ったのです、湿度の管理が上手くいかなかったのか
又は駆除対策に失敗したのか。これらの原因で競り落としてきた本数の
半分以下をやむなく捨てざる得なかったのです。

 花たちに人格があると言う表現は私流にお伝えすると、ひとと同じような
物で、本来の種から生まれてきても、育つ環境そして、育ててくれる両親
又は多くの人たちと、どれだけコミニケーションが取れて感性豊かに
今、成長して社会に出るのか、まるで競り台に乗って流れていく
花たちとかわりがないように思えるのです。

それだけではなく、育った畑で花たちはなんとも自己主張をしたり、
まっすぐに育ったり、蕾を沢山つけてみたり、種族の繁栄のために
一生懸命種作りに精をだしていたり…

 その人格、花格でもいいかしらこの際だから、とりあえずあるように
思えるのです。
そして昨日の続きになりますが、その人格を社会の中で素敵に
輝かせるのは矯めを強要するだけではいけないのです。

 それぞれの人格を活かすことを、社会全体が支えていかなければね。
と言うことで本日は自分の中で伝えたいことが上手く伝わっていないような
気がします。又この花の人格と言う不思議な表現について
思いつくことが生まれてきたらおつたえしましょうね。