| 2004年 7月 28日(水) |
叱ること、厳しさの追求その果ては…
私の日常は多くの学生と、仕事帰りに通って来られる人々との
ふれあいが主な仕事です。勿論家庭をしっかりガードされている
方々もいますよ。
今日はテスト期間中にやむなく研修に出かけなければならなかった
学生達と、補講を受ける学生達がやってくる日でした。
1人の子は朝8時30分に、予定の時刻より30分前到着です。
駅から自転車で三原からやってきました。
彼女には良いタイミングだなと思って本日「特別レッスン」を
提供することにしたのです。
それは自分の花材と、他の学生達の花材をセッティングする事。
何だか補講を受けに来たのにと反発するかなと思っていましたら
とても気持ちよさそうに、又興味深そうにタオル片手におてつだい
してくれました。
その後、続々と学生達の到着です。教室のスタッフはアトリエの
片隅で、どんな思いで、学生達の姿をみながら通常の業務に
付いていたのかランチタイムで尋ねてみると、《大変ですね。
いつも、ああなんですかあ(^0^)》と。
そのぐらい筆記、実技テスト終了後の彼らは賑やかだったのです。
サポーターとして出向いているスタッフが《今日は特別かな
でもあんなものかしら》と笑顔で答えてくれました。
彼らとの触れあいも夏休みに入りますのでしばらくは
お休み、そんな折りに後ろを振り返るように様々な出会いが
甦ってくるのです。そしてふと、我が身を…
そこに残った足跡は実に、叱ることそして厳しさのあり方を
振り返る自分でした。
そしてわが人生に当てはめてみた時、我が子や、生徒さんたちに
どのように接してこれたか、あらためて反芻する己の姿があったのです。
叱ること、厳しさの追求の果ては、《大事なことは叱る題材を否定する
事ではなく、超えることが出来る大人の知恵を探すことなんではないかしら。
そして、愛だけでは解決しない》ということでした。
とかく親になると子供達の行動が思い切り気になって、叱ることから
始まってしまうことが多々あります、これは感情からはいるからでしょう。
叱る立場の大人も成長しなくては、いつまでも感情的に向き合って
しまうのです。
私の成長はこれからも止まることがないだろうと確信したいですね。
何故って、多くの学生と教室の大切な私の宝…生徒さん達が
いる限りその追求は終わりがないからです。
★本日の映像は「浮き球」です。水槽の中で気持ちよさそうに
浮いてくれるこの物体、眺めているとなぜか沢山の出会いが目に浮かぶ
不思議な「浮き球」です。★