| 2004年 8月 4日(水) |
数日前の日記の続きです。
「盆栽を作る人間が思い描いている形は
盆栽をいじめて、いじめて作るものなんだ。
ずっと先になってから現れてくるもんだから、その形が
自分の中で固まらないうちは、手の内は決まらん。
最初は誰でも枝を落とすと、盆栽が台無しになりませんかと
ビクつくもんだが、思い切りの良さが時に必要なものなんだ。」
と言う内容をかきこんだとおもいます。
これは盆栽に凝りだした方との語らいから伺った、その方の師匠の
言葉でした。少々年代的にはさかのぼるかもしれません。
私はこの中で「思い切りの良さが時に必要…」の節が気にいったのです。
なぜかといいますと、これはアレンジメントに非常に通づるものが
あるからです。そしてひいては、人生に通づるものがあるように
常日頃感じるからです。
「ナチュラルフローリストフレンドシップMIN」においても
又当、教室の方針は常に「モアナチュラル、モアシンプル」を
前提にしていますが、時として思い切りの良さを求められることが
あるのです。
作品完成を間じかにして、最後の決めに入る時にこの思い切りが
必要なんです。切り落とす、落とさないは別にしても。
これって人生においても同じような場面に遭遇することがあると
おもいませんか?それが私の思うところの直感なんですね。
いつも五感で鍛えたアンテナをピンと立てておくと、どの場面で
思い切りの良さを伝えるか自然と身につくものなんですね。
ところがこれは教えたところで今すぐにと言うわけにはいかない。
これが、いたしいところかな。
そして〆は、この師匠はこんな風にピシッと〆ていらっしゃるのです。
《その内、手に心が追いついてくるんだよ》
素敵でしょ。
「花の向こうに人がいる」これはこの〆に共感するものがあるのです。
《花の技量は心が追いついてこなくては駄目なんです》ということですわ。
そして心が自然に追いついて来ると、「花の向こうに愛する者達の面影が
見え隠れするのです。》ということでこのところ、私まで盆栽に
凝りだしそうで少々困惑してます。どこかで相通づるものがあるのでは
ないかしらと思うようになりました。
本日の画像は盆栽ではなくごめんなさい。
我が家の「トムとジェリー」です。
先日の小雀との戯れをご覧ください。但し猫ではありません。