| 2003年 12月 9日(火) |
消えない怒り
先月から気になっていて毎日、新聞報道を
追っている事件がある。
先月にはこの日記を書き始めていたが
自分の想いなど書いても無意味だろうと
書かずにいた。
だが、今日の西日本新聞の報道を目にして
怒りは爆発した。
熊本県小国町の温泉ホテルによる
ハンセン病元患者の宿泊拒否問題の追加報道だ。
”化粧品会社アイスター”のHP上に
宿泊拒否は当然の処置だ。この主張は
現在も何ら変更は無いと改めて
この拒否問題を正当化する文書が掲載
されているというのだ。
ビックリした。自分の目でもHPを確かめた。
本当に載っているではないか!。
一度は頭を下げたこの会社は騒動が収まった今
前言を撤回したというのか?。
一体、この会社はどういう会社なのか?。
ホテルの正式名称は
「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」
という。
人権侵害者にとっての宮殿なのだろうか?。
だが、私もこの”元ハンセン病患者”さんに
ついて知ったのは、つい最近の事だ。
前々から思っていたが無知とは恐ろしいと
実感させられた。
2001年に国家賠償請求における
原告「完全勝訴」という報道を目にして
”元ハンセン病患者の国家賠償請求とはなんだ?”
と、疑問を持ち、図書館に走った事から
私の関心は始まった。
その時は二時間しか時間が無いので(駐車場が)
さっさと目を通して帰るつもりでいた。
山のようにある本の中から手記と思われるものを
手に取り、近くの椅子で読み始めた。
数ページで涙が出てくる。
あまりに酷い内容だ。
このまま読み続ける事は困難だと、その場で
数冊を借りて帰った。
ご存知の方も多いとは思うが
読んだ内容を下記に記したい。
ハンセン病:らい菌による慢性感染症。
末しょう神経や皮膚が侵されるが、感染力は
極めて弱い。かつては遺伝病と考えられ
「業病」「天刑病」と呼ばれた。
戦後になって治療薬が普及、治る病気となった。
現在、国立十三、私立二の療養所に
約四千四百人が生活するが、ほとんどが
治癒している。
ある元患者さんは幼い頃から家に閉じ込められて
いたそうだ。兄弟姉妹は学校に行く事もできず
家族は村八分にあっていた。
家の奥の一室だけが彼女の使える場所で
家族への感染を恐れ
ひっそりと生活していた。
ある日、警察官と保健所の職員が
家に押しかけて来る。
”無らい県運動”なるものが始まり官民一体と
なってハンセン病患者を掻き集め、全国五箇所
に出来た公立療養所なる強制収容所に
収容される為に彼女は連れ去られたと言うのだ。
泣き叫び、わが子を返してくれとすがる母親は
無視された。国が採っている政策なのだから
抗えるはずも無い。
この”無らい県運動”のスローガンは
民族浄化だったそうだ・・・。
ある人は自分から家を出て、物乞いをして
暮らしたそうだ。
兄弟は教育を受ける事も出来ず、姉は離縁され
家に戻ってくる。家族の不幸は自分のせいだと
自ら放浪する道を選んだそうだ。
ある人は家族に土下座され頼まれたそうだ。
「このままでは、家族全員が死を選ぶ事になる。
どうか、家を出てくれないか。名前を捨てて
くれ。二度と家が有ると思ってくれるな」と。
この”放浪らい”と呼ばれる人たちも
強制的に上記の療養所に収容される事になる。
強制的に療養所に連れてこられた七歳の子は
初日に”通称はなんにするか?”と問われた
そうだ。本名で暮らす事は家族への差別へと
繋がるので沢山の人が別名で過ごしていた。
そして、書類に拇印を求められた。
その書類は死後、解剖に承諾する為のもの
だったのだ。
七歳だ。たった七つの子に死後に行う死体処理
の話をしたというのだ。早く治り親元へ
帰ることを願う子に死の話をしたのだ。
イヤだと言うと職員は言った。
「死んで腹を引き裂かれても痛くは無いぞ」
この解剖承諾書には小さな小さな親指の
拇印が押されたのだろうと想像しただけで
胸が掻き毟られるようだ。
療養所とはいえ、かなり苛酷だったそうだ。
職員の数は充分ではなく、軽症の患者さんが
重症の患者さんの介護をさせられていた
そうだ。
それだけではない。入所者には労働さえ
あったというのだ。
末梢神経を冒すこの病気に傷は命取りになる。
痛みを感じないために、釘を踏み抜いたり
手にとげが刺さったりした事に気づかず
気が付いた時には、指や手や足を切断するまでに
悪化していたというのだ。
国が予算を渋る事無く、満足のいく治療を
受けていれば、手足を失わずに済んだ方が
多数いらっしゃるのだ。
この方たちに残された後遺障がいを見て
「気持悪い、一緒に入浴はイヤだ」
と誰に言う権利があるのだ?!。
ひょっとしたら私が味わった事かも知れぬし
両親や祖母だったかも知れぬのだ。
1953年(昭28)に、らい予防法が制定
されたそうだが、1943年にはプロミンが
画期的な治療薬だと判明しており、不治の病
では無くなっていたというのにだ。
その上、この法律はつい最近の1996年まで
存在していたというのだ。平成8年だ!。
なんて事だろう・・・。
この悪法”らい予防法”が施行されている
間に23000余人が亡くなったそうだ。
私が驚いたのは、この悪法が実行されていた
その時には、既にプロミンなる特効薬が
開発されていたという事実だ。
アメリカで発見された特効薬を日本で使用する
までに何年もかかっている。
太平洋戦争真っ只中だったからだ。
戦争終了後も国からの予算が下りぬ為に
療養所内で選抜されたごく一部の方だけが
プロミンを処方されたらしい。
選に漏れた方々が抱いた気持ちを思うと辛い。
目の前で今まで仲間だった人が見る見るきれいに
治ってゆくのだから。
国は厚生省から求められた予算6000万を
渋り1000万しか出さなかったのだ。
このタイムロスの間にも亡くなられた方が
多数、いらっしゃる。
魔法のように治る薬なのに、それが解っていて何故
この悪法が平成八年までも続いていたのだ?。
疑いがあるだけで、強制的に収容させ、拘束
し続けることが出来るこの法には
外出禁止の記述まであった。何が予防法だ。
強制収容所ではないか。
その上、療養所内で結婚する人には
非合法で、断種・堕胎が行われたという。
断種など言葉が生ぬるい。去勢だ。
人間が人間に行う事だろうか?。
あるお母さんは六ヶ月を過ぎてから
手術を強要されたらしい。もう既にリッパに
顔立ちが分るほど大きくお父さんにそっくり
の赤ちゃんだったそうだ。
これを殺人と呼ばずに何と呼ぶのだ?!
皆が特効薬により完治したその後も
続けられたらしい。
断種しなければ、男女が一緒にいる事さえ
禁止され、結婚しても二人の
子供さえ作れなかったのだ。
(十日訂正・初期は非合法だったが
最近は優生保護法により合法で
1992年まで法の下に
断種・堕胎が行われていた)
日本で療養所なるものが出来て90年の間
お世話をする職員の方には誰一人として
感染していないそうだ。
らい菌は非常に感染力の弱い病気で
栄養状態の良い日本では皆無に近いそうだ。
万に一つの確率で感染したとしても完治する
病気なのだ。
インフルエンザで毎年、かなりの人が
亡くなっている事を考えると”らい菌”を
恐れる事がいかに無意味かと思わせられる。
まして”一緒に入浴したくない”等、
発言する人間の良識を疑う。
このホテルへ宿泊拒否に賛成する電話が
殺到したらしい・・・。恐ろしい。
ただ病気に感染しただけで、強制収容され
自由を剥奪され、完治したその後も
多くの人の誤解の上で迫害は続いている。
この日記を書いている今、小泉首相が
記者会見を開いている。
イラクの自衛隊派遣についてだ。
自国の国民の人権も守れぬ国が何が
人道支援だ。
政府がこの宿泊拒否問題に対してハッキリ
コメントしない事にも怒りが湧く。
まだ沢山の裁判が終っていないので
国としてのコメントも出来ぬのだろう。
そして、医学界にも怒りを感じる。
医者ならば、国に問いかけこの悪法を
無くすべく尽力する立場だったのではないか?。
医者は90年もの間、見て見ぬふりをしたのか。
こんなにも長くなってしまったが
書いても書いても書ききれない。
つたない私の文章では言いたい事の
十分の一も伝わらないだろう。
今日は何の日かを思うと悲しい・・・。
(数冊の本を読んだだけなので
詳しい方から見ればアラも多いだろう。
教えて下さい。訂正します。)
熊本の新聞が詳しい記事を載せているのを
発見した。
http://kumanichi.com/feature/hansen/
訂正したい部分があったので後日訂正した。
↑鉛筆マークを押すと日記にレスを付ける事ができます。
是非、一言下さいませ。