| 2004年 1月 12日(月) |
今日の晩御飯/憂慮
今日は妹が午前中から
お出掛けしている。
”れ・みぜらぶる”なる
”みゅーじかる”を見に行ったのだ。
けっ。似合わん・・・。
で、朝から私と父はウキウキして
いた。妹が胃もたれを起こすと
言って嫌う
ケン○ッキーフライドチキンが
お膳に上るかもしれない。
毎日でもお出掛けしてくれて
良いくらい好物なのだ。
で、目出度く今日の晩御飯は
チキンに決まった。ぐふっ。
後はゴボウのきんぴら。
ブロッコリー。
* * *
今日は珍しく真面目な事を
考えてみた・・・。
数日前、某Oさんの日記を
拝見して何だか嬉しくなった。
何が嬉しかったかというと
死後に角膜提供する登録を
されていらっしゃると言うのだ。
(アイバンク)
つい先日、新聞か何かで
アイバンクの登録者が激減して
いると読んだばかりだった。
何を隠そう私は
ドナーカードを
持っている。
(似合わないとよく言われる)
この”ドナーカード”が
(臓器提供意思表示カード)
配布されだしてから、すぐに
持ったのだから10年くらいに
なると思う。
生きている間に善行をする
自信も無く、せめて死後くらい
人様のお役に立ちたいと
思っている。
私は100歳まで生きる予定
なので、使い古しの臓器を
使って貰えるか定かではないが
不慮の事故も想定しなければな。
あげられる物は全て
使ってくれと裏に書き足した。
だが、家族の反応が悪い。
ドナーカードの裏面には
家族の了承の上に署名する欄が
あるのだが誰も署名してくれぬ。
あ!。見たことの無い方の
為に説明すると
ドナーカードには
臓器を提供する意思が無い
方のためにもあるのだ。
裏の項目に”提供しません”
という欄もあるので
提供意思がない方も
持てるようになっている。
それに提供する場合は
脳死後か心停止後か
自分で選択出来る様にも
なっている。
話は戻るが欧米では
臓器提供など
日常茶飯事の事で
どんなジャンルの本を
読んでいても出てくる位
普通の事のようだ。
人種の坩堝だから、適合者を
探す為には相当の提供数が
必要なはずなのに、凄い事だ。
逆を考えれば日本でなら
諸外国よりも少ない人数で
適合者が見つかるのでは
ないのだろうか?。
欧米と日本の臓器提供に対する
考えの差は、宗教上の理由も
あるのだろうが、宗教が何であれ
死後に要らなくなった臓器で
誰かが助かるのなら、こんな
嬉しい事は無いと思うが
現実には難しいのだろうか。
私はもし、死ぬのなら
犬死には絶対にイヤだ。
臓器だけではない。皮膚、角膜
腸 すべての物が使えるのに
みすみす捨てては欲しくない。
自分や自分の家族や友人が
死ぬ事を考えるのは辛い事だが
何時かやって来る現実だ。
日本では子供の臓器提供・移植は
行われていない。
臓器移植さえすれば助かる
幼い、そして尊い命が
沢山あるのが現実だ。
海外で提供を受けようと
決意されても、移植しか道が無い
ほどの重症患者さんには
残された時間も無く、提供者が
現われるのを待つ間に
亡くなられる方も多いと聞く。
人間の心臓のサイズは自分の
握り拳くらいだそうだ。
幼児に大人の臓器を移植など
不可能なのだ。(主に心臓の事)
日本では15歳未満の子供に
臓器提供の意思があっても
法律上、認められないので
(民法の関係。法的に遺言は
15歳以上から認められる)
事実上、日本で臓器提供を
必要としている子供たちは
見殺しにされるのだ。
親の気持ちを思うと辛い。
日本では臓器移植は不可能だし
海外で提供者を待つとなると
仕事も出来ぬ状態になるだろう。
可愛いわが子を助けようと
思ったら海外しか望みは無いのだ。
受入国の米国や豪州でも
移植を待つ人は多いだろう。
その国々から
『なぜ日本は自国で賄わぬのか』
と批判が出ているらしいが
当然の反応だと思う。
子を思う気持ちは誰でも一緒
だろうが、自分の子の順番を
一日でも早くと願うのは
当然だろう。
話は飛んだが海外での移植には
数千万から億の金が必要になる。
先日、カナダで心臓移植を受けた
少年に掛かった費用は
七千万円だそうだ。
子供さんを持つ方は若いご夫婦
が多いだろうし、数千万もの
お金を用意できる人など
一握りだろう。
国は『貧乏人の子供は死ね』と
言うのだろうか?。
もしくは『募金でも集め
集まるまで死なずに頑張れ』
とでも言うのだろうか?。
神戸で移植の為に募金活動を
されていたがこの心臓病の少女は
渡米目前で亡くなられた。
募金が集まるまで生きて
いられなかったのだ。
無念だったろうな・・・。
可哀想に。
日本に生まれたばっかりに。
脳死患者の臓器提供があっても
その臓器によって保険が
適用されない事もあると
何かの本で読んだ記憶がある。
法って弱者の為には無いのだな。
患者さんの年齢を問わず
生体肝移植が盛んに
行われているが提供者の健康上
心配もあるし、最後の手段で
行われる方も多いだろう。
(生きている方の肝臓を
切り取り移植する事)
きっと苦しむ肉親を
見ていられなくて踏み切られる
のだろう。
つい先日も自分の肝臓を提供
すれば自身の命も危ないのに
10代の娘さんに提供された
母親がいた。(親御さんも体調が
万全ではなかったらしい)
危篤だと新聞で読んだが
助かられる事を祈っている。
その日本でも15歳未満の
子供による
臓器提供法案の審議が
始まるらしい。
(一月ほど前の新聞で知った)
子供に死後の事を理解できるのか
親御さんの気持ちはどうか 等
問題は山積みだろうが
もし、可決されれば
可能性がゼロでは無くなる。
脳死判定の不透明性など
医学界が抱えている問題も
数多い。
絶対に提供などイヤだという
方もおられるだろう。
でも、ご自分の子供や
家族がもしその立場だったら?。
ご家族になら腎臓でも肝臓でも
提供したいと思われる方は
多いだろう。
だが、家族に臓器を提供
しようにも適合しない事も多い。
第一、死ななければ提供できぬ
臓器もあるのだ。
その場合は
何処かの誰かからの
提供を待つ事になる。
この事がもっともっと
色んな場面で
話題に上ると良いのにと
いつも思っている。
推理作家の野沢尚氏が
子供の臓器移植を材に
恐ろしいミステリーを
書いている。(リミット)
高野和明氏も
クレイヴディッガーという
骨髄移植を材にした
ミステリーを書いている。
あんな話が絵空事になる日が
早く来ると良い。
”誰でも”長生きしたいと
思う事が普通になれば良いな。
何だか今日は偉そうで生意気な
内容になってしまった。
ごめんね・・・。
それから、世の中には
そんな事はイヤだと
言われる方が
大半だというのは
解っています。
だからこそ
”誰でも安心して”
提供者になれる様な
そして、提供したいと
思っている人の臓器が
無駄にならぬ様な
慎重で大胆な法改正を
待ち望んでいる。
*素人が思った事を書いただけ
なので、誤った箇所があったら
教えて下さい。訂正します。
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