| 2004年 1月 6日(火) |
思い出の四羽
今日も変わった事が起こらぬ。
ネタが無いので今日も思い出で
乗り切ろう。
ある日、父上が会社から
大きな木の箱を持って帰ってきた。
何だろうと近寄ると中のモノが
動いている気配。
急ぎ、開けさせると中には
ヒヨコとはもう呼べぬほどに
デカイにわとりが四羽いた。
雌は一羽もいない。
全て役に立たぬ雄鶏ばかりだ。
(玉子を期待していた)
父の職場の人が、大きくなって
可愛くなくなった四羽の
貰い手を捜していたそうだ。
筥崎宮で放生会のひよこ釣り
をして、持って帰ったそうな。
(夜店が並ぶ。某Oさんしか
分からぬだろう)
生き物なら何でも来いの私は
早速、1号から4号まで
番号を付けた。
全員の見分けがつかぬので
おシッポに印しをつけた。
後に、顔かたちで全員の
識別が出来るようになった。
四羽は私だけに馴れた。
抱っこが出来るまでになり
とても可愛かった。
私一人がせっせと世話をしていた
のだから、当然だったが。
家の裏に四畳強の広さの
狭い庭があり(塀で囲ってあった)
半ば放し飼いで育った四羽は
屋根の上に上がれるほど
野性味があった。
どうやっていたのか
覚えていないが
鶏自身が小屋の扉を開けて
出入りしていたのだ。
鶏は空を飛べぬと聞いていたが
屋根位までは樂々で飛び上がった。
この四羽は何故か妹の事が
大嫌いで目の敵にしていた。
学校帰り、玄関から
入って来れぬ時は
裏口から入るのだが妹の姿を
見るとニワトリが四羽
一斉に屋根の上から
飛び掛るのだ。
まさに降り注ぐという感じ。
妹は四羽に”叩かれ突付かれ
体当たりを受け、蹴り飛ばされ”
いつも泣きながら家に入ってきた。
家に手乗り文鳥もいたのだが
この文鳥も妹が嫌いで
血が出るまで突付いていたな。
この文鳥が死んだ時、妹は
踊りだすほど苛められていた。
何故、妹が動物に狙われたのか
未だに謎だ。
で、ある日テレビ番組を
見ていると鳥は色を識別する
と言っていた。
幼い頃から好奇心が旺盛だった
私は、閃いた。
私「ねねね。鶏って洋服も
見分けられるんかいな??」
妹「どうでもいいやん、何で?」
私「実験しよーよ♪」
妹「いやっいやっいやっ!!」
嫌がる妹の洋服を剥ぎ取り
私の服を無理やり着せる。
で、強引に鶏のいる裏手へ
妹を押し出したのだ。
いつもなら姿を見た瞬間に
飛び掛る四羽は妹を無視している。
部屋の中から様子を伺うと
妹は既に泣きだしていた。
気の毒になり、私も外に出て
妹に声を掛けた。
私「もういいよ。ちゃんと
洋服ば見分けとるごたあね」
と言った瞬間、ニワトリが
一斉に私と妹を見たのだ。
私の洋服を着た人物が妹と
分かりニワトリは走り出した。
勿論、妹に向かって・・・。
ニワトリは洋服を覚えている
だけでは無く声も判別するのだ。
実験結果には満足が行ったが
後で、母に死ぬほど叩かれた。
悪気は無かったのだが
妹は未だに覚えていて
「あん時は酷かった、鬼やん」
と言う。
当時、彼女は七歳。
七歳にしてはしっかり
覚えている。
先日、妹は小型犬が嫌いだと
書いたが鳥類も嫌いだ。
これをトラウマと呼ぶの
だろうな。
この四羽は後に不幸な運命を
たどるのだが、長くなるので
ここでおしまい・・・。
これでも充分長いと思っている
そこの貴方。
ごめんね、最後まで
読んじゃったのね。
* * *
親子の会話 夕方篇。
私「今日の晩御飯、なん?」
母「雑煮とハムの残りと数の子と
蒲鉾の残りと黒豆の残り
とフキの煮物の残りよ」
私「なん?!そのメニュー
正月と一緒やんか!」
母「ブリが一杯残っとるけん
雑煮タイ。冷蔵庫のもんば(物を)
片付けんとならんけんね。
文句あるなら食べんどき」
蒲鉾は非常に危ないんじゃ
ないだろうか?。
既に一週間経っているぞ。
旧正月まで二週間もあるのに
正月料理かよっ・・・・。
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