| 2004/8/14 (Sat) |
産み落としていいかどうか悩んでる。
本当に急に、昔お店でフリーで付いたお客さんを思い出した。
名前もうろ覚えのその人は、幼いときに腸閉塞か何かの病気に罹り手術の傷がお腹にあった。
年末に、忘年会で来ていた団体様の中の一人で、飼っていた猫の話から『命』の話に転がり込んだんだった。
私が、しろの骨を埋められずに居ることを話すと、その人は『可哀想だから土に還してやれ。』と言った。
総ての命が生まれて、いずれ土に還っていく過程の事は理解していたし、その輪の中に矛盾など感じたことは無かった。
だけど、それでも…と繋ぎ止めている大事な大事な命の記憶。それをそんな風に言われてしまったことは理解することができなかった。
『可哀想、って言うのは生きてる人間の感覚でしょ?』
そう反論した私は、お墓も、葬式も生きている人間を慰めるためのものなのだから、私の心が本当にしろから離れられるまでは、手放すつもりはないと告げた。
静かにそれを聞いていたその人は『ああ、そうか。』と一人で納得して黙る。
そして『じゃあいつか手放せるようになったら、その時はちゃんと還してやらなきゃな?』そう優しい言い方をした。
それに素直に頷いた私に、その人はこんな話をした。
『今、妻の腹の中に子供がいるんだ。だけどその子をこの世に産み落としていいものかどうか迷っている。』
『は?』
その人は本気でそう言っていた。
今の、この世の中で未来は決して明るくなくて、その子が育っていった先に幸せがあるとは思えない。それを知っていて産むのは酷いのではないかと。
私はその人に自分の病気の話もした。その人の手術の傷は、その時に服をめくり上げて私に見せてくれたもの。
苦しい治療を受けて、みんなに生かされた証。
その人はそれを『自分は赤ちゃんで、自分の意思ではなかったかもしれないのに生かされた。』と表現した。
私はそれを聞いて反論した。
『生きよう』って思わなかったら、きっと死んじゃってたと思うよ?って。
周りがどんなに生を望んでも、生きられない子もいる。
本人がどんなに生きたがっても、生きられない時もある。
その巡り合わせにルールがあるのかは知らないけど…あなたは必要だから生きてるんじゃないかと、そう伝えた。
家族が居て、子供が宿って…その子を幸せにする力が無いとは思えないと伝えた。
無口で、マイナス思考な人だったけど…最後に笑ってくれたから。
私は、その人の子供が無事生まれたと信じている。
既に二人の子供の父親であることを最後に明かしたその人が、明るくないかもしれない未来を生き抜けるような子に、3人の子供達を育てていると信じている。
50分1セット。
人生の中のたった50分間の共有。
だけどずっと忘れない記憶がそこにある。