| 2004年 1月 24日(土) |
口付けの効能
大寒波がやってきて、たいそう寒い。
ここ数日テニスにはまっていて、ラケットをぶんぶん振り回しながら闊歩している慎吾の姿が見えない。
さすがの筋肉もこの寒波の前にはお手上げか、と多少ほほえましく思っていたら、どうも様子がおかしい。
そもそも休日前には、慎吾は私とデートと決まっているのだ。
それなのに、私を避けている様子が見られる。
一体どうしたのだろう。私は慎吾を捕まえに行った。
校内に緻密な情報網を持っている私だ。慎吾の居場所ぐらい、たちどころに知れる。
意外なところで慎吾を見つけた。保健室の前だ。
保健室の前で蹲っている慎吾を見つけた。
隣にいるのは咲良だ。いつも一緒の瑞樹がいない。
なにやら保健室は瑞樹の鬼門らしく、着いてこなかったのだろう。
「慎吾!」
近づいて声を掛けると、大きな慎吾の背中が面白いくらいびくぅ!と竦みあがった。
「どうしたんです、今日は私と一緒に…うっ…。」
私としたことが、不覚にも声を詰まらせてしまう。
涙目で振り向いた慎吾の左のほっぺたが、…巨大な飴でも含んだように…膨れている。
「な…なんですか…、その素っ頓狂な顔は…。」
「あ…天音…。」
「天音センパイ! 慎吾センパイに言ってやってくださいよ、気休めの鎮痛剤なんかじゃダメだって。ちゃんと歯医者に行かなきゃって。」
歯医者…?
それは虫歯なのか…?
「君が天音君? ふうん…。」
頭上から声が掛けられた。
なんと言ったか、胡散臭い保険医が私を舐めるような目つきで見下ろしている。不愉快な奴だな。
「まあとりあえず、ご希望の鎮痛剤はあげるけど、早いとこ歯医者へ行った方がいいですよ。天音君はともかく、私は桜庭君たちには興味ないからね。」
保険医は、鼻で笑うように言うと、保健室へ引っ込んでいった。
気のせいか? 帰り際、彼が私に流し目をくれたような気がするが…?
「去年ミルキー食うたら詰め物が取れて…、放っといたら今朝からムッチャ痛いねん…。」
大型犬が甘えるようなしぐさで、慎吾が私に擦り寄る。危うくほだされそうになるが、そこはぐっと我慢。
「どうしてその場で歯医者に行かないんです! そんなの虫歯に決まっているじゃありませんか!」
慎吾は私の言葉が聞こえないように耳をふさいでいやいやと頭を振る。
「あーっ、こんな顔になってもうて、せっかくの抱かれたい男ランキング中やのに、ぜんぜんイケテへんっ!」
抱かれたい男…狙ってたのか…。
「それじゃ尚更歯医者に行かなきゃダメでしょう。」
「だって…、歯医者…、怖いんやもん…。」
それで泣き落としのつもりだろうか。
祥太郎先生と違って黒目率の低い慎吾。うるうるした目は、あんまり可愛くないかも。
私はため息を吐いてケータイを引っ張り出した。
「歯医者の予約、入れますからね。」
「ああっ! 天音のイケズッ!」
慎吾はくぐもった声で叫ぶと、やにわに咲良の肩を掴んだ。
「一緒に行こうな、咲良! おまえもきっと虫歯あるで!」
「え〜、俺虫歯なんかないですよう。」
「いーや、きっとある、ミルキーくれたのおまえやん。それに、おまえの枕もとにいっつもガムやら飴やらあるの、俺知っとるで。」
「大丈夫ですよう、あれぜんぶ、キシリトール入りの奴だもん。あ、でも…。」
咲良は可愛らしく、ふっくらとしたほっぺたに指を押し当てて考えるしぐさをした。
「やっぱり行こうかな。こっち来てから全然検診行ってないし。クリーニングもたまにはしたいし。
それにもし虫歯があったら、雪紀センパイに悪いかも。虫歯はキスで移るって言うし。」
……………?
今なんと言った?
昨日…いやわりと高頻度で私はこの筋肉と唇を交わしているんだぞ…。
思わず狼狽に手が震えてしまう。
こうして私は3人分の歯医者の予約をすることになった。