2004年 10月 9日(土)

雨の中

朝からずっと雨が降り続いている。今年は台風のあたり年で、もう9個目になるのだとか。
あまりの肌寒さに、私は冬物のカーディガンを引っ張り出した。

またそろそろ衣替えの季節か…。毎年この頃になるとはらはらさせられる。
不精ものの慎吾が、衣替えを面倒くさがって、いつまでも半袖のままでいるからだ。

もしかすると奴は、精神構造のみならず、肉体構造も赤ん坊のままなのかもしれない。
こんな寒い日にも、嬉々として泳ぎに行ってしまっているのだ。
私より平熱がきっと2〜3度高いに違いない。
いつだって手を取れば、私の指先が氷の様に冷えていても、ポッカポカに暖かいのだものな。

あまりの退屈さ加減に、庭を見ながらぼんやりしていると、益体もない考えばかりが頭の中を駆け巡る。
強い雨脚が、庭の立ち木や飛び石に、ひっきりなしに白い花を咲かせている。
姿のないうさぎが飛び跳ねているようだと慎吾が言っていたのは…小学生の頃だったかな。

そうしていると、きゅうに玄関の方が騒がしくなった。
私には来客の予定もないのでじっとしていると、おばあさまがやってこられた。

「天音さん、あなたにお客様ですよ。」
「え? こんなお天気に? 一体誰です?」

矢継ぎ早に質問をしてしまう。
こんな日にやってくる酔狂は、慎吾くらいしか心当たりがないが、今日は奴はまだ夢中で泳いでいる頃。

「下級生のお友達よ。瑞樹さんとおっしゃったかしら。」
「え…? 瑞樹…?」

正直面食らってしまう。
私には、咲良と瑞樹はいつでも二人で1セットという印象がある。
瑞樹一人がピンで、しかも前ぶれなく私のところを訪ねてくれるなんて、考えてもいなかった。

慌てて玄関まで出迎えると、瑞樹が住み込みのお弟子さんに手伝ってもらって、濡れた衣服を拭っているところだった。
この雨の中、レインコートも着ないで来たらしい。ズボンは跳ねが上がって、膝の上までぐっしょりだ。
「いらっしゃい、瑞樹。どうしたんですか、こんな雨の中を。」
「あ、天音先輩。ご連絡も無しに突然ごめんなさい。急に天音先輩の顔が見たくなっちゃって。」
瑞樹は小さく舌を出した。前髪からこぼれたしずくが、弱い度の入った眼鏡の上を滑っていく。

客間に通して、おばあさまが熱いお茶をいれてくださると、寒さに震えあがっていた瑞樹の頬に薔薇色の血の気が戻ってきた。
それから瑞樹は、初めて気が付いたように、薄着の両腕を擦った。
「寒いですねえ。急に冬になっちゃったみたい。」
「当たり前ですよ。雨の日にそんな薄着で。」
瑞樹は気管支が弱いと聞いたことがある。
こんな日にこんな薄着で出歩いて、風邪でもひきやしないかと心配になってしまう。

「それで、どうしたんです? 私に何かお話があったんじゃありませんか?」
「いえ…、俺、ものすごく暇してて。」
「咲良はどうしました? いつも一緒じゃありませんか。」
「咲良なんか…、雪紀先輩に呼ばれたら、シッポ振って飛び出していったきり、帰ってきやしませんよ。」
おやおや。だいぶご機嫌斜めのようだ。

「この間もみんなで遊びに行って、俺だけお留守番だったし…。」
みんなと言うのは…、もしかしてあの女子高生たちとの果てしなく不毛なお出かけのことだろうか。
私なんかは、瑞樹や白雪君があの席にいなくて良かったと心底思っているのに…。もしかして瑞樹は混ざりたかったのだろうか。
「それに…カノンも…お仕事が忙しいって、ちっとも構ってくれないし…。」
ははん…。本音はそのあたりか。

「まもなくブライダルシーズンとかで、ずっとカノンはモデルのお仕事が忙しかったんです。
俺だって、カノンの邪魔をする気はないから、ずっと我慢してたのに…。
ブライダルシーズンなんてそろそろ終わるはずなのに、カノンのお仕事がちっとも暇にならないんです。」
「それはいいことじゃありませんか。
こう言ってはなんですが、モデルのお仕事は、生涯できるものじゃありません。
できるうちにより沢山お仕事をすることが、次へのステップとなるに違いありませんよ。」
「そうですけど、でも…っ! ゆずちゃんとかは、毎日会ってて…ずるい。」
なんとも可愛らしいことだ。
カノンの成功を喜びつつ、淋しくて我慢ができないのだろう。

「なんか最近みんなラブラブで…。祥太郎先生までなんだかウキウキしてて…。
俺一人だけ、一人ぼっちみたい…。」
「そんなことはありませんよ。
いつだって私はあなたの味方ですよ。」

うん、可愛い。
これこそ、日々心を砕いて可愛がってきた成果だな。
あんまり可愛らしいので、思わず手を伸ばして、柔らかい髪をなでてしまう。
慎吾みたいな大型犬が従順に懐くのを見るのも楽しいが、こういう可愛らしい愛玩犬が、足元をちょろちょろして濡れた瞳で訴えるように見上げるのも…大変に楽しい。
私の幸福は、こんな日々の小さな楽しみで成り立っていると言っても過言ではない。

美味しい和菓子と熱いお茶で、ゆったりとした時間を過ごしつつ、私は瑞樹を慰めてあげた。
退屈なばかりの休日と思っていたが、思いがけず充実した日になった。
しかしカノンめ…。可愛い瑞樹にこんな表情をさせるとは…。今度ねじ込んでやらねば。

瑞樹はしばらく喋ったあと、ますます強くなった雨脚の中を、肩を竦めるようにして帰っていった。
あまりにも寒そうで、ちょっと帰すのがためらわれたのだが、予定があるというし、送る車もコートもガンとして断るのだ。

早くおうちに帰って暖かくしておくようにとは十分に言い聞かせておいたけれども。
かなり不安が残った。