2004年 11月 13日(土)

星空の下

後夜祭も終わり、なんとなく心寂しくなってしまった校舎を慎吾と二人で出た。
この2日間は本当にいろいろなことがあって、なんだかすっかり疲れてしまった。
それでも、隣を歩く慎吾にそっと擦り寄ると、いつもの慎吾の香りが忍びこんできて、少しほっとする。

「少し遅くなってしまいましたね。何を食べに行きましょうか。」
仕送りで寮生活をしている慎吾は、いつも懐が寂しい。
だから、外食は大抵私がご馳走することになる。今日もすっかりそのつもりでいた私は慎吾に腕を引っ張られて少し戸惑った。

「天音、なんか食べたいもんある?」
「いいえ…、特には。」
「なら、俺がおごったる。そのかし、文句言いっこなしやで。」
いたずらっ子じみたいつもの笑顔で私を誘う。
ちょっとどぎまぎしながらも、おとなしくついていった先は、どこにでもあるコンビニだった。

「慎吾…? 食事に行くのではなかったのですか?」
「ああ、コンサートつきのとっときのとこにつれてってやるで。そのためにはまず買い出ししとかんとな。」
平気な顔で私の問いに答えた慎吾は、陳列棚の間をひょいひょいと歩き回って、籠にどんどん食品を入れていく。
カップ麺の棚に行くと、いやに熱心に眺め回して、そのうち大きなカップを二つ取り上げた。
「あったあった。これが今のとこ俺の“お気に”やで。この味噌がごっつうまいねん。」
見るからに辛そうな題字のそのラーメンを抱えて、慎吾はレジに並んだ。

「そんな物買って、どこで食べるんですか…。お湯だって困るでしょうに。」
「これだから坊ちゃんはな〜。」
慎吾はややわざとらしく、呆れたように眉を寄せるとひょいと指を指した。
「こういう店はちゃんと心得とるもんなんやで。天音よりよっぽど目端が利くのや。」
指差した先はポット。なるほど、これでご自由にお作りくださいというわけか。

なみなみとお湯を注したカップを抱えて、私は慎吾の後ろをおっかなびっくりついて行く。
慎吾は物慣れた様子で、片手にカップ、片手にコンビニの袋を背負って、悠々と道を突っ切ってく。
道の向こうが木立になっていると思ったら、そこは公園の一角だった。
今は水の出ていない噴水が真中にあって、ちょっとした広場になっている。
その噴水を取巻くように、ベンチが点在している。慎吾はその一つにどっかりと荷物を置いた。
「よかった。特等席があいとったで。」
すっかり腰を据えてしまう様子に、私は唖然とした。

「慎吾…ここが、あなたのとっときなんですか?」
「そや。まあ座り。あのコンビニからここまでちょうど3分や。そろそろ麺ができるで。」
言うなり、割り箸を咥えてパキンと割ると、両手を合わせて食べ始めてしまう。
私は仕方なく隣に座った。

伸びると急かされて、気の進まないカップ麺を開け、私はあたりを見まわした。
噴水の回りのベンチが、次第に人で埋まっていく。良く見ると、みんな手に飲み物を持ったりして、すっかり寛ぐ様子だ。
…さすがにカップ麺持ちこみなんていうのは少ないが。
慎吾が次第にうるさくなってきたので、気が進まないまま麺を啜ってみる。
…………意外と美味しい。
そう言ってやると、この上なく得意そうな顔になった。

気がつくと、ライトが据えられて、私たちの真正面にギターを抱えた人がいる。
綿密に椅子をセットして、チューニングをしていく。
その頃には人垣ができていて、ベンチに座りきれなかった人たちが、地面に直接座って彼を待ち遠しげに見上げている。

どうやらストリートミュージシャンらしい。

「慎吾、彼ですか、コンサートというのは…。」
「せや。ストリートだからいうてバカにしたもんやないで。ほんまにいい歌を歌うんや。」
それは、無言のままじっと彼を待っている人たちの姿からも伺える。
私は姿勢を正して彼の歌を待つ気になった。
慎吾が私に擦り寄ってくる。あったかい缶コーヒーが、手の中に押しこまれた。

「それにしても、今回は感謝しています。」
「ん? なにがや?」
「あなたはわざとのんびりしたふうを装ってくれていたのでしょう? みんなの動揺を誘わないように。
慎吾も随分頼り甲斐があるようになったなあと思って。」
誉めると、すいっと顔が背けられる。
どうやら照れているらしい。

「感謝してるんは俺のほうや。白雪には悪いけど、あいつの標的が天音やなくてほんま、良かったわ。」
「慎吾…! 良かったなんて、それでは白雪が…!」
「あの後寮に帰って白雪の顔を見たとたんに、腸が煮え繰り返る気がしたわ。
そんでな、思ったんや。これがもし天音だったらどうしたろうって。絶対あかんわ。
俺、今ごろ間違いなく殺人犯やわ。」

いつものキュートな笑い皺の慎吾でない、凍るような目をした慎吾が、一瞬私を睨んだ。

「俺も大概、雪紀や直哉の友達やってて、あいつらみたいなんは特別やと思っとった。
俺がことさらのんびりしてやらな、バランスとれへんって。
だけど、天音のことだけはダメやで。のんびりなんてしてられん。
思い出して、想像するだけで、ほれ、手ェ震えんねん。」

言葉の通り、大きな手の中の缶コーヒーが小刻みに揺れる。

「天音になんかあったらと思うだけで、血ィ吐きそうや。」

唸りを上げるような呟きを隠すように、静かにギターが流れ始める。
私はそっと慎吾の手を握った。

「ありがとう。大丈夫ですよ。私はあなたに心配をかけるようなことはしません。」
「………ほんまやで。」
返事の代わりに、広い胸に額を押し付けた。
すっかり日の沈んだ空は、いくつもの星が光っている。
柔らかいギターと落ちついたストリートミュージシャンの声に包まれて、私は静かに目を瞑った。