2004年 11月 8日(月)

迷路の中

私はあてがわれた井戸の傍らに屈みこんだ。
この井戸は、袋小路の一つに作られている。迷路クリアのみを目標に突き進めば、こういった奥まった場所に潜んでいるお化けには会えないと言うわけだ。

そもそもこの迷路は講堂全体を使っているわけではない。
講堂の中に巨大な箱を作り、その中をパーテーションで仕切って迷路を作っているのだ。
だからリタイアしたくなったら外壁からも外に出られる仕組みになっている。
入場者は入る前に携帯の番号を教えられる。そこは本部に繋がっていて、いつでも指示、あるいは助けを呼べるようになっている。
しかし、今のところ、リタイアはいないようだ。

また一人、客が近づいてきた。
このエリア全体に、古風な笛と和太鼓の効果音が低く流れている。
演劇部と美術部の面々が知恵を絞ってくれたようで、私はさっきから感心しきりである。

客がある位置まで足を進めると、センサーによって私の周りを足元から青白いライトが照らし出す。
ご丁寧に冷たい風が、客の方に吹きつける仕組みだ。
私はライトが点いたらそっと立ち上がって、手を胸の前に左右不揃いに垂らせばいい。

それにしても、こんな袋小路なのに、客が多い…。
いい加減面倒くさくなってきた。
考えてみれば、ひっきりなしにライトが点くから、私はここだとみんなに知らせているようなものではないか!
そう思っていると、団体客が色めきたった。
「おおお〜! 天音さま! 死に装束もまたお美しい〜!」
………親衛隊のやつらだ…。

「そのままそのまま! 記念に一枚写真をお許し下さい!」
「ええい! 私はお菊なのです! 少しは怖がりなさい!」
「もちろん畏怖しております! 天音さまのそのお美しさに〜!」
話にならん!

良く耳をすませてみると、あちこちから似たような声が聞こえる。
あの高笑いは雪紀だろうか。一生懸命ドラキュラを演じている様子だ。
それなのに、隣の女子部の連中だろうか。キャーキャーとまるでアイドルを囲んでいるかのような声に、せっかくの高笑いもかき消されがちだ。
あっちから聞こえる、逃げ惑うような甲高い声は…咲良と瑞樹か…。
これは本当にお化け屋敷なのだろうか…?

「国見君、お疲れさま〜。わー、凄く雰囲気あるお菊だね〜。」
祥太郎先生が遊びにきた。祥太郎先生はフリーだから、どこでも移動して、交代や伝令をしているらしい。
「さっき、瓜生がうちの家族つれてきたのが見えたから、逃げてきちゃった。
まったく、うちの家族は過保護で困るよ。小学校の学芸会じゃないんだから、どうして教師の父兄がわざわざ見に来るんだろ。」
どっちかって言うと、家族の気持ちの方がよく分かる…。

「それはそうと、先生、白雪の方へは行かれましたか?」
「さっき行ったよ。なんだか元気がなくて、休んでいいよって言ったんだけど、相変わらず白雪君は頑張り屋でねえ。」
ちょっと胸をなでおろす。白雪が持ち場にいると言うことは、まだなんの問題も起こっていないと言うことだ。
「隼人君もなんだか変な雰囲気だったし、なんか僕に隠してることあるんじゃない?」
ぎくり。祥太郎先生は、いつも変なところで勘がいい。

私が口篭もっていると、直哉がすっと寄って来た。
祥太郎先生が来たからには直哉もいるとは思ったが、露骨な奴。
「天音。おまえら何を警戒してる?」
直哉が厳しい目で私を見る。何を言う必要もない。私たちの緊張は、やっぱり白鳳の守護神たちには筒抜けだったのかもしれない。
「今さっき、妙な雰囲気の奴が来たぞ。赤い髪でぎらつく目をした…。あいつのことじゃないのか?」
「ああ、ブレザーを着た子!」
私ははっと息を飲んだ。それは間違いなく一巳だ。

「俺らスタッフには目もくれないで、手にした地図を眺めてた。あれはここの配置図じゃないのか? 妙な方向に進んでいったから、抜け道を目指していたのかも知れないぞ。」
「えっ! 配置図を持っていたのですか?」
まずい! 最後の白雪の場所に行くまでに、必ず誰かの目に触れるはずだと思っていたが、配置図を手にしているなら、邪魔なスタッフを迂回することも、
それどころか、外壁から一直線に白雪の場所まで行くことも可能だ!
「直哉、ちょっと私は抜けます!」
言い捨てて、私は走り出した。さっき地図を下見しておいて本当に良かった。
雪山ゾーンに入ると、私はすぐに隼人を探し当てた。

「隼人! 一巳が現れたようです。白雪は?」
「えっ! 30分前に確認した時はちゃんと…!」
隼人は血相を変えた。もさもさの着ぐるみを着たまま、猛然と走り出す。私も後を追った。

しかし山小屋にたどりついた私たちが見たものは、所在無さそうに雪女のスタンプを待っている客が数名と、乱れたセット。
そうして、開け放たれた非常口の外壁の扉と、その前に忘れられたような片足だけの雪駄。
生真面目で、黙って抜け出すことなどありそうもない白雪の姿はどこにも…ない。

「白雪っ!」
隼人が大きく叫んだ。