| 2004年 12月 4日(土) |
最凶の日 その1
慎吾によると、今日の私は365分の1の確率で最悪の運勢だそうである。そんなテレビのお手頃な占いに惑わされる私ではないが、やはり気分はよろしくない。
しかし、そんなことでおとなしく慎吾にしたがって蟄居するのも癪なので、出掛ける事にした。
まず、出掛けにケチがついた。
今我が家には植木職人が入っている。お正月を迎えるに当たって広大な庭の手入れに忙しいのだ。
門の側に老松がある。我が家の守りを司るかのように、隆とした枝振りを広げている。
その下を通りかかると、頭上から悲鳴が聞こえた。
ハッとして足を停めると、目の前スレスレを太い枝が落下…! 私の足の裏にまで振動をとどろかせた枝は、まるで惜しかったとでも言うようにごろりと転がった。
後から細かい葉がパラパラと頭の上に振りかかって来る。
「すっ、すみません、坊ちゃん! お怪我はありませんか!」
長い付き合いの棟梁が青くなって声を上げる。その傍に、見習いなのだろうか、私と大して年齢の差のなさそうな若い男が、更に青い顔をして震え上がっている。
上得意の一人息子にとんだそそうをしてしまったと思っているのに違いない。
私はバクバク言う胸を無理矢理納めてにっこり笑った。国見家の次期当主たるもの、いちいち動転してはいられないのだ。
それにとりあえずなんの怪我もなかったことだし、あたら若い才能をこんなところで怒鳴り散らすことによって失ってしまうほどに私は狭量ではない。
しかし、私の脳裏に慎吾の能天気な声が木霊する。
「ほれみい! 天音は今日は1日、おうちでイイコにしとらな、あかんのやで〜。」
自分のテスト勉強がはかどらないからって、自由に外出できる私をやっかんでいるのに違いないのだ。あの筋肉は。
どうにも幸先悪いが、あんな占いなんかに振り回されてはいられない。
家の中がばたばたしているので、自力で──つまり電車で出掛けた。目的地は顔なじみの呉服屋だ。
祥太郎先生に半ばだまされたようにマツケンサンバの衣装まで任されてしまったから、それを調達しに行かなければ。
電車に乗れば当然座席にはつけず、掴まったつり革はにちゃりと粘る。
ひっ!と慌てて手を引っ込めて恐る恐る見てみると…そこには毛の生えた黒い…粘る物…。
これはもしや…鼻…! 恐ろしすぎて言葉にできない!
まだ目的の駅には着かなかったけれども、慌てて飛び降りて、一直線に洗面所に駆けこむ始末。
いや、まだ占いの最凶なんて信じない!
師走だからか、外は妙に混んでいる。
人ごみで突き飛ばされて鞄を落っことし、お気に入りの靴は踏まれて大きな足跡が付いてしまう。
やっと目的の呉服屋にたどりつくと、いつも私の無理を聞いてくれる店員は休みだと言う。
いや、無理は基本的に誰でも聞くのだ。何しろ我が家は大得意。お母さんもおばあさまもこの店の呉服が大好きでよく作るし、父も舞台用に私用にと愛顧している。
しかし、彼とは長い付き合いだから、私の言いたいことはみなまで言わなくてもわかってくれるはずだったのに。
彼の代わりに来たのは、緊張でガチガチになった女性だった。
店員嬢はまず深深と頭を下げて、勢い余って転びそうになる。…なんだかイヤな予感…。
「あのっ! 今日はいかようで! もしやお正月の晴れ着に何か…!」
そう言えば今年も晴れ着を作ったのだった。
今年は何かと忙しくて、全てお母さんとおばあさまにお任せしてしまったのだったか。
「いえ、それとは別にお願いがあって参ったのですが。」
「よかった! 天音さまの銀鼠のお着物は、私がお見立てしたんです! なにかそれでご不満でもあったのかしらと思いました!」
ちょっと待て、銀鼠…?
それでは…我が家でも素でマツケンサンバでは…?
「い、いや、今日はその、急なお願いで申し訳ないのですが、クリスマスまでに…お着物を9…いえ、4枚作って頂けないかと思いまして…。」
生徒会全員分作ってやると息巻いていた私だが、この店の混雑ぶりを見て気がひけた。
案の定店員嬢は考えこむ姿勢だ。
「あの…それはお花の集まりか何かで使われるのですか?」
「い、いやその、まったく私事の集まりで使うので、そんな良いものでなくていいのですが…。」
「私事と言うと…?」
「あの…忘年会の出し物で…。」
恥ずかしい…こんな由緒あるお店で、私は何を恥ずかしいお願いをしているのだろう。
「忘年会の出し物と言うと、踊りでもなさるのですか?
もしそうなら、お作りいただかなくても、レンタルなどもございますが…。」
「は…、それで、結構です…。」
本来ならいくら洗濯してあるとはいえ、赤の他人と回し着など考えも及ばない私だが、恥ずかしすぎて頭が回らない。
「それではこちらへ。」
店員嬢に、別の部屋に通された。
「踊りに使われるのでしたら、こういった華やかなお衣装などよろしいかと思いますが。」
店員嬢が見せてくれたのは、大きな柄の派手目のお着物。しかしマツケンの煌びやかさには及ばない。
「あの…もっと派手というか、キラキラしいと言うか…そういう物はありませんか?」
「キラキラしい…? あの、失礼ですが、よろしければ何を踊られるのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
真面目そうな店員嬢が心底不思議そうな顔をして私の顔を覗き込む。私は恥ずかしさに真っ赤になりながらそっと答えた。
「マ…マツ…マツケンサンバを…。」
声が裏返ってしまう。いつものあの人なら、ここまで言わなくても察してくれただろうに!
店員嬢はすっくと背中を伸ばした。不自然に頬が高潮して、顎がカクカク言っている。
「わ、分かりました。そういうお衣装は…ぶは。」
吹いたな。
いつも取り澄ました国見家の跡取がマツケンサンバなんか踊るのがそんなにおかしいか。
………おかしいだろうな…。
店員嬢は笑いをこらえてぶるぶる震えながらとりあえず注文をしてくれた。そんなものはこの店にはないらしいが、伝はあるのだという。
私は動揺しまくりながらも、ちゃっかり前言撤回して、生徒会全員分の衣装をレンタルした。
もちろんあのキラキラの触角付きのヅラも忘れない。
この恥ずかしさ…全員と分かち合ってやる。
なんだかすっかり疲れ果てて店の外に出た。
美味しいお茶でも飲もうと、し切り直しのつもりで少し離れた繁華街へ足を向けた。
「あっ! 国見く〜ん!」
うっ!
あの軽やかな声は…、もしかして!
恐るべし最凶の日。何もこんな出会いなどなくたって!
そこにいるのはにっこにこの祥太郎先生(憤怒の形相の直哉付き)であった。