| 2004年 12月 5日(日) |
最凶の日 その2
祥太郎先生が飛び跳ねるようにして近づいてくると、当然直哉もついてくる。
傍まできた直哉は、いきなり私の服の襟をぐいと引っ張った。
「おまえいったいどういうつもりだ!」
「何がです! 私がここに来合せたのはまったくの偶然です。」
「それならとっとと失せろ! 俺がここにこぎつけるまでにどんな努力をしたと思っているんだ!」
何を勝手なことを…こんなところで鉢合わせして面食らっているのは私だって同じだ。
「そっちこそとっととそのがさつな手を離しなさい! 襟が伸びてしまうじゃありませんか!
私は静かにお茶を飲もうと思って…!」
「あっ、国見君もこれからお茶? 良かった、僕たちもお茶しようって言ってた所だったんだ。
ねえ、いっしょにどう?」
どう?とか私が抵抗できない可愛い仕草で言いながら、祥太郎先生は私と直哉の腕を一本ずつ抱えて、すでに方向転換をしている。
私の背後で同じように引っ張られながら、直哉がウガウガ言っている。
どうせ、祥太郎先生とせっかくのデートを邪魔するなとか言いたいのだろう。
知ったことか! こうして実力行使しているのは私じゃないのだ。
それに子悪魔っぷりを披露していない時の祥太郎先生はすこぶる可愛らしくて、私だってお気に入りなのだ。
「あっ、ねえねえ、あそこだよ、あの本に出てた喫茶店。」
どうやら先生の目的地は、ガイドマップに出ていた店らしい。少し古めかしい雰囲気の喫茶店だ。
しかし、張りきって足を進めていた先生が、急にストップした。店の中が見渡せる大きな窓の前だ。
「どうしたんです? ここに行きたかったんでしょう?
空いている様だし、入りましょう。」
直哉がご機嫌伺いをするように祥太郎先生に話しかける。祥太郎先生はちょっと首を傾げた。
「うーん、ここは…なんだか面倒くさそう…。」
面倒くさい? 私は先生の視線にしたがって、店の中を覗いてみた。
すると…ああ、いるいる。この世とあの世の境に住まう者どもが、うようよと。
どれもこれもイヤな雰囲気を発してはいないようだが…あれだけの数がいれば、少しは障るだろうな。
………そういえば、直哉はこう言った類の物が大嫌いだったか。
おもしろい。直哉の泣きっ面が見られるかも♪
それにしても、やっぱり祥太郎先生は、こういう者どもを察知できる能力があるようだな。
「よさそうなお店じゃありませんか。入りましょう。」
途端に祥太郎先生が、困った顔をする。
そうか。ここに入ると、直哉に嫌がらせと同時に、祥太郎先生にも意趣返しができるわけだ。
「でも、ここ、コーヒー専門店だよ。国見君て、たしか紅茶党だよね…。」
しきりにパチパチと目を瞬いて見せる。
ええ、ええ。先生のおっしゃりたいことはよーく分かりますよ。ここは避けようっておっしゃるんでしょ?
そうは問屋が卸す物ですか♪
「ええ、でもコーヒーも嫌いではありませんよ。こんな渋い感じの喫茶店なら、さぞかし深い味わいのコーヒーを楽しませてくれることでしょう。」
祥太郎先生は私の意図を察したらしい。ぎゅっと眉を寄せて、いやな顔をしている。
ふふふ。店内に入ったら、後腐れのなさそうなのを一つ二つ選んで、直哉の周りに侍らせて上げましょうか♪
「国見君…そんなこと言うんだ。」
おや? もう怒らせちゃったかな?
「直哉君、あのね、このお店、良く見たら、椅子が…。」
「椅子が…なんですか?」
「椅子が…あーゆー木の椅子だとちょっと僕には堅くて…、古傷に響いちゃうんだよね…。
あ、でも、二人ともここがいいんなら、僕は我慢するけど…。」
先生は首を傾げながらそう言うと、そっとわき腹を押さえる仕草をする。
………1学期に折った肋骨なんて、とっくのむかしに完治しているでしょうに!
直哉も直哉だ! いちいちそんなのに簡単に引っかかりおって!
結局直哉に引きずられるようにして、し切り直し…。祥太郎先生はちょっと思案顔になって、喫茶店を選びなおした。
今度の店は、オープンカフェと言うのか、路上にテーブルを置いて、そこでお茶を飲むのだ。埃っぽいが、致し方ない。
そうして、祥太郎先生は私に向かってにっこり笑う。なんだ?
しばらくすると、その笑顔のわけが分かった。
子牛ほどもある、大きな毛の長い犬が、飼い主に伴われてのしのしと歩いてくる。
それだけで私は震え上がってしまうが、そいつがどんどん近づいてくるのだ。
そして…よりによって私のテーブルの隣に!
ここは…どうやらペット同伴可の喫茶店らしい!
「う わー! 大きいワンちゃんですね〜!」
祥太郎先生が早速身を乗り出す…もしやこれは…作戦?
「すっごくカッコイイ…。僕、ボルゾイって初めて見ました〜! 写真で見るより数倍気品がありますね〜!
あ、でもこんなきれいなシルバーの毛並み…写真でもなかったですよ〜!」
しょ、祥太郎先生…ヨイショはその辺にしませんか…?
ほら、飼い主がさも満足げに近寄ってきて…あう。
「触ってもいいですか〜? 僕たち犬って大好きなんです。ね、直哉君?」
「え、あ、ハイ…。」
私と祥太郎先生の水面下のせめぎあいを知らない直哉は、ちょっと気の毒そうに私を見て…それでも素直に頷く。
飼い主も…祥太郎先生のあまりに無邪気な喜びように…その笑顔の下にどす黒い陰謀が潜んでいることなど考えも及ばないのだ。
「どうぞどうぞ。この子も撫でてもらうの、大好きなんですよ。」
「うわー、ありがとうございます。…ひゃー、ふわふわ〜♪」
そ…それ以上その毛むくじゃらを…近づけないで…。
「どうしたの、国見君、可愛いよ、ほら。」
硬直している私の方に、祥太郎先生が毛むくじゃらをほんの少し押しだす。
毛むくじゃらは私のほうを見て…、な、なんだその期待に満ちた目は…!
ヒィ! のしのし近づいてくるな! 思わず私はがたがたと椅子をひいてたち上がってしまう。
すると…。
がばぁ! と、
犬が立ち上がって…!
毛むくじゃらな両手が私の肩にわしわし乗って…!
ほそながーい顔が私の顔にぬうっと近づいて…あったかくて濡れた物がべろーんと顎から眉間までを…!
な、な、な、舐められた〜〜〜〜〜〜!!!!!
…………暗転。
「………んとうに大丈夫です。返って申し訳ありませんでした。」
遠くから直哉の声が聞こえる。私はぼんやり辺りを見まわした。ここは…?
「あっ、国見君、だいじょうぶ?」
祥太郎先生の可愛い顔が目の前に…祥太郎先生?
全て思い出した! 私はがばっと起き上がった。
あの毛むくじゃらは去っていくところで…直哉がぺこぺこしていて…祥太郎先生が私を見下ろしている。
「さっきのボルゾイちゃん、君の帽子のピンが気に入っちゃったみたい。びっくりしたね。」
びっくりしたのは……こっちです!
あああ、顔がぬるぬるするぅ〜! 顔を洗わせて欲しい…!
祥太郎先生は私の気分を察したかのようにお絞りを渡してくれた。私は普段指先も拭わないそれで、ぐりぐりと顔を吹きまくった。
………顔がお絞りの蒸れた匂いがする…。
「でも、国見君余計な抵抗しなかったから、この程度ですんだんだよ。
ね。動物には、逆らわない方が身のためなんだよ。それが例え、ハムスターみたいな小動物でもね。」
私はびくりと竦んだ。咲良たちに、祥太郎先生がハムスター系の小動物だと漏らしたのが…耳に入っているのだろうか?
祥太郎先生は小首を傾げてにっこり…天使みたいに笑っている。
恐るべし最凶の日…、いや、最強の教師…。
私はすっかりしょげ返っておとなしく家に帰ることにした。
もう今日は布団を引っかぶって寝てしまうに限るのだ…。