2004年 2月 15日(日)

バレンタインその後

昨日の日記を読み返すと、少し恥ずかしくなってしまう。
一時の激情に任せて、心にもないことを書き連ねてしまったからだ。
あれから、慎吾は私を追いかけてきてくれた。もしかすると私の行きそうなところをあちこち探し回ってくれたのかもしれない。
私を抱きしめた慎吾の身体は冷たくて、彼の狼狽をそのまま物語っていた。

あんな真剣な声を聞かされると、それだけで私の全身が慎吾を求めているのを思い知らされてしまう。

すったもんだの仲直りの後は…ここに書き記すまでもない。
バレンタインのチョコより甘い夜が待っていた。


とは言うものの、現実に立ち返れば、私の前には片付けなくてはならないことが山積みだ。
私は台所で用意をしていた。二人のブランチのためだ。
男子厨房に入らずと言うおばあ様の主張を聞かされて育った私が決定的に料理が苦手なのを見越して、乃々香がパンケーキを焼いていてくれたのだ。

「天音ちゃんはほっとくときっとカップラーメンしか食べられないから〜。」
彼女はスローモーにそう言うと、言葉とは正反対の鮮やかな手つきで大きなパンケーキをひっくり返した。
「明日はこれをチンして食べて〜。ソースはこれね〜。お野菜もちゃんとたべるんだよ〜。」

乃々香の言うとおりに、私はパンケーキをチンした。
何食分だか知らないが、私の顔くらい隠れそうに大きなパンケーキは、きっと慎吾の有り余る食欲を満たしてくれる。

私は盆にそれらをセットして、部屋へ運んだ。

部屋では慎吾がケータイで話し中だった。
「せや、天音んちにおるから…。悪いな、咲良。で、昨日どうだった、自分?」
ケータイを通して華やいだ咲良の声が漏れ聞こえる。
咲良とのケータイの通話にいやな思い出のある私は思わず眉を潜めたが、運のいいことに、慎吾はそんなはずれくじを引かなかったようだ。

ここから先は、慎吾から聞いたバレンタインデーの顛末だ。

「祥太郎先生は、副会長にチョコレートあげないんですか?」
いきなり咲良に突っ込まれて、祥太郎先生は目を丸くする。
「え? 僕が直哉くんにチョコレート? あげないよ。なんで?」
「あげないんですか? 祥太郎先生、酷い! 副会長、かわいそう!」

いきなり非難されて、祥太郎先生は目を丸くするばかりだ。
「どうして? バレンタインデーって、女の子が男の子に告白する日でしょ? 何で僕が?」
「だって祥太郎先生、副会長と仲良しじゃあありませんか!」

咲良はこぶしを握って力説する。

「この場合、祥太郎先生は絶対副会長にチョコレートをあげなくちゃいけません!」
「えー、そういうもの?」
「そういうものです!」
「………ふーん………。」

いきなり話題に上げられた直哉は、少しばつが悪そうにそっぽを向いたりしている。
だけど、もし祥太郎先生がチョコレートをくれたら、躍り上がって喜ぶに違いない。

「…今日なんか僕、いっぱいチョコレートもらっちゃったんだけど、それ…。」
「それじゃダメです!」
咲良の追求は容赦ない。祥太郎先生は思案顔になった。

「じゃあ…。」

手にしていたカップを差し出す。そこにはバレンタインデーだからと、特別に煎れられたココアが入っている。

「これでいいかな、これもチョコだよね…。もう口つけちゃったけど…。」
「これ…、バッ、バレンタインのチョコ…ですか!」
「うーん、咲良君がそういうから…。」

祥太郎先生は少しためらうように笑って小首を傾げた。
カップを揺らさないように肘をわき腹につけて捧げる姿は、まるで恥らっているようだ。
「直哉くん、もらってくれる?」

ズキューン! 咲良は、祥太郎先生の言葉が直哉の胸を射抜いた音を確かに聞いたという。

「もももちろん…、嬉しいです、祥先生…。」
それが祥太郎先生との関節キッスコミということであれば、嬉しさもひとしおだろう。
「そう、よかった。あ、僕もう行かなくちゃ。もうすぐ会議が始まっちゃう…。」
祥太郎先生は、カップを直哉に押し付けるようにすると慌てて立ち去った。

直哉に託された祥太郎先生のココアは、祥太郎先生仕様に、甘さ倍量で特別に作ったものだという。

甘いのが大の苦手の直哉は、それを捨てるわけにも行かず、四苦八苦しながら飲み干したという…。


「わはははー! 普段すかしてるからそんな目に会うんや! 俺みたいに取りすがって、欲しいものは欲しいとちゃんと言わなアカン!」
上機嫌だった慎吾は、私が運び込んだ盆の上を見て、あっけに取られた顔をする。
私だってありがたくはないが、今日のメニューはチョコ満載だ。
パンケーキにはたっぷりチョコソースがかかっているし、飲み物はココア、デザートの白玉にまでチョコがこってりかかっている。
「なんやの、天音、この…チョコ責めは…。」
「あなたへの私の愛の残滓ですよ。」

そう、まったく残滓というしかない代物だ。
乃々香が準備万端に揃えてくれたチョコはかなりの量で、今も台所にうなるほどあるのだ。
もちろん慎吾にお持ち帰りさせるつもりではいるが、それでもとても消費しきれない。こうして着々と消費しないと。
明日、おばあ様がお帰りになって台所をチェックする前に、どうしても綺麗にしておきたいのだ。

「無茶や…いくら俺が甘いもの好きやいうても、これは…。」
「こんなところでくじけないでください。ココアはまだまだお代わりもありますし、おやつには乃々香が作ってくれたチョコプリンも控えてますよ。」
それぞれ特製のチョコたっぷりの奴が。

「後で買い物に付き合ってくださいね。パンとフルーツを買いましょう。」
慎吾のなんだか情けなかった顔が少し和らいだ。晩は普通のものが食べられると思ったのかもしれない。
どっこいそうは行かない。これは私をはらはらさせたことへの意趣返しも含まれているのだ。

「ブランデーがありますから、チョコフォンデュをしましょう。たっぷり出来ますよ。
もちろん残さず食べてくれますよね、慎吾。」

慎吾の顔がひくりと引きつった。
私は輝くような笑顔を向けて、慎吾の前に特別メニューをセットした。