| 2004年 3月 19日(金) |
繋いだ手
昨夜は大変だった。
早めに寝ると部屋に引っ込んだ祥太郎先生は、結局夕食にも降りてこなかった。
まだ時間が早いからと、体よく追っ払われた直哉は渋い顔で一言も口を利かないし、子犬たちもそわそわ心配顔だ。
一応、みんなの手元にはトランプの札が配られてはいるのだが、誰もゲームになど集中できない。
そろそろ直哉が痺れを切らしかけた頃、祥太郎先生がふらふらと降りてきた。
「祥先生! 具合はいかがです!」
「んー、トイレ行きたくなっちゃって…。」
どう見たって熱のある真っ赤な顔で祥太郎先生はへらりと笑うと、個室に消えた。
私はため息をついて、さんざ探してやっと見つけた救急箱から体温計を取り出した。
差し出したそれを、直哉がひったくるように受け取った。
先生がよろよろと出てきたところを捕まえた直哉が体温計を突きつけても、祥太郎先生はへらへらと応じない。
「大丈夫〜。一晩寝てれば治るよ〜。」
「本当に大丈夫ですか? 医者を呼ぶ用意はありますよ?」
雪紀が珍しく慎重に言っても、祥太郎先生は首を振るばかりだ。
突然、直哉が切れた。
「いい加減にしなさい! そんな真っ赤な顔をして!
あんたがどうしても嫌だって言うなら、とっ捕まえて剥いて、尻に体温計突っ込みますからね!」
「え〜、それはご勘弁…。」
かなり迫真に迫った直哉のセリフだったが、祥太郎先生は軽く言い返した。
だが、さすがに尻を剥かれるのは嫌だったらしく、ようやく体温計を受け取ってくれた。
「つ〜め〜た〜い〜…。」
文句をいいながら測った熱は軽く39度をまわっていて、またもや直哉がぶち切れた。
「うあー、久しぶりに扁桃腺爆発って感じ?」
「のんきなこと言ってないで、とっととベッドに戻りなさい!」
「なんだよ〜、引き止めたのは直哉君じゃないか〜。」
「医者を呼びますから、おとなしく寝てて下さいね。」
「………本当にいいのに〜。」
先生は熱で潤む目でみんなを恨みがましく見回すと、とぼとぼ部屋に引き上げていった。
直哉は腕組みをすると、ますます渋い顔になった。
医者はなかなか来なかった。こんな雪山の夜中だ。そうそうすぐには来られないだろう。
いつのまにかトランプもお開きとなり、リビングにはすっかり人気が少なくなった。
そろそろ到着できるという医者からの連絡を受けて、私は祥太郎先生の様子を見に行った。
祥太郎先生と直哉の部屋の前がなんだか騒がしい。
慎吾と咲良と瑞樹とが、扉に張り付くようにして、中を伺っているのだ。
「何をしているんです? 祥太郎先生はどうしました?」
「あ、天音…。」
「もうじき医師が到着しますから、もう一度熱くらい測っておかないと…。」
祥太郎先生の部屋は暗くて、ベッドがこんもり盛り上がっているくらいしか確認できない。
私はパチンと部屋の明かりをつけた。
「祥太郎先生、まもなく医者が………。」
「シャ────────ッ!!!」
「ひゃ────────っ!!!」
突然真っ赤な口が踊りかかってきて、私は思わず尻餅をついてしまった。
祥太郎先生のベッドの足元で、全身の毛を逆立てて威嚇しているのは、猫の太郎だ。
「さっきからあいつが危なくて、入れへんねん…。」
「…………ろ……。」
祥太郎先生の手が少し動いて、聞き取れないくらいの声が漏れた。
「な〜…。」
太郎は私に向けた声とはまるで違う可愛い声を出して、祥太郎先生の手に擦り寄った。
そして、また私達を振り返ってはふーっと毛を逆立てる。
「太郎…、祥太郎先生を守ってるつもりなんだ…。」
「なんていじらしいんだろう…。」
君達…いじらしいのはいいが、これじゃ医者だって入れないじゃないか…。
「どけ。」
突然頭上から声が降ってきた。直哉が私達を押しのける。
直哉は無造作に先生の部屋へ入り込んだ。太郎はまた背中を弓なりに丸め、きばをむき出した。
「あっ、危ないで、直哉!」
慎吾が思わず直哉の服の裾を掴むが、直哉はそれを振り払った。
太郎がますます高くうなる。直哉は動じない。
限界までたわんだ体が、突然弾かれた。
爪さえ見えるかのような必死の形相の太郎が、直哉に襲いかかったのだ。
「ひゃ…。」
子犬たちが思わず肩を竦める。
バリバリッと盛大な音を立てて直哉のシャツが破れ、腕に筋が走った。
見る見るその筋は、ビーズのような赤い血玉をつけていく。
だが、直哉は小さくうめいただけで、右手を差し上げた。
その先には、襟首をつかまれて手も足も出ない状態の太郎がぶら下がっていた。
「その辺に、祥先生が持ち込んだ籠があるはずだ。探してくれ。」
「お、おう。」
慌てて部屋に飛び込んだ慎吾が、差し出した籠に、無事太郎は押し込まれた。
「すご〜!」
「直哉センパイ、かっこいい〜。」
子犬たちはキラキラと目を輝かせて直哉に見入っている。
さすがの私も、ちょっとばかりかっこいいなと思ってしまった。
そうしてようやく医師の診察を受けさせることができた。
注射が効いたのか、先生はとろんとした目をして眠そうだった。
だが、まだ顔は真っ赤だし、呼吸も荒くて、一人にさせておくのは心配だった。
それなのに、先生は強がるのだ。
「ごめんねえ、引率なのに、こんなことで…。」
「いいですから、今日はゆっくり寝てください。誰か一人付くようにしますから。」
「え〜、いいよう。ほっといてよ。大丈夫〜。」
そんなに掠れた声で言われても、誰も大丈夫なんて思わないって…。
「俺が付くから。みんな寝てくれ。」
当然の展開だが、直哉が名乗りをあげた。みんなも、ここで抗議しても無駄なのが分かっているのか、あっさり頷く。
「ということで、俺が傍に付いてますから。一晩中見ててあげますから、安心して休んでください。」
そんなことを言ったら、祥太郎先生には逆効果なんじゃないのだろうか。
祥太郎先生は、ああ見えて意外と意地っ張りなのだ。言い出したことを覆すとは思えない。
だが。
「ん…。」
意外にも、祥太郎先生はあっさり承服した。
直哉の顔を見上げてうっすら笑いすらした。
何の事はない。先生の本心が知りたくて、いろいろ画策したのが馬鹿らしいほど、祥太郎先生は素直に自分の気持ちを吐露している。
私達は当てられた気分で、部屋を出た。
「なんやの。二人ラブラブやん。俺らが心配することあらへんわ。」
私も慎吾と同意見だった。
夜中に目が醒めて二人が気になり、そっと覗きに行くと、先客がいた。
瑞樹と咲良がこっそり部屋を覗いていたのだ。
「何をしてるんです、悪趣味ですよ。」
「そういう天音センパイだって…」
「私は、祥太郎先生の具合が心配になっただけです。」
「心配いらないみたいですよ。ほら。」
指差す先を透かし見る。ほの暗い明かりの中で、祥太郎先生の穏やかな寝息が聞こえる。
「祥太郎先生が、直哉センパイの手を離さないんです。」
ベッドの上に二人の繋がれた手が見えて、私はがらにもなく赤面してしまった。
「直哉センパイ、良かったですね。」
思わずつられて頷いてしまう私だった。