2004年 3月 27日(土)

初めての…

先日、子犬たちと髪の話をした。

咲良はあまり神経質に自分を磨く方ではないらしい。
髪もお肌も、手入れをするというよりは清潔第一と言った感じで、男性用の爽快感を売りにしたシャンプーがご愛用なのだそうだ。
対して瑞樹は、髪の手入れが大好きなのだと言う。
朝は双子のお姉さんと、鏡とドライヤーを奪い合って一騒動なのだそうだ。
そういえば、瑞樹の顔の輪郭を覆うような少し長めの髪が跳ね上がっているところなど見たことがない。

私はと言えば、美容院は愚か、理容院にも行った事がない。
そういうと、二人とも目を剥いて驚きの声を上げた。

「えーっ、うっそー! だって天音センパイ、髪ものすごく綺麗ですよ!」
「うん、俺絶対、毎月ストパーかけてるんだと思ってた!」
「だって必要ないじゃありませんか。」

うんと小さいころは、庭でおばあ様が散髪をしてくれたし、最近は父の所に出入りしているヘアスタイリストがこまめに手入れをしてくれる。
そういうと、瑞樹は信じられないと言う風に首を振った。

「だっておうちでしてもらうんじゃ、髪を切るだけでしょう? 美容院は染めたり巻いたり、いろいろしてくれるんですよ。」

別にパーマを当てたいとは思わないし、髪は黒髪が好きなのだ。
私の純和風の顔立ちには黒髪が似合うし、慎吾も好きだといってくれる。

「いいんです。パーマは似合いそうにないし、私はこの緑の黒髪が自慢なんですから。」
「ん? 緑? 黒髪なのに緑?」

咲良が目を白黒させている。
帰国子女の咲良には、ときどき分からない言い回しがあるようだ。

「緑の黒髪と言うのは、つややかで美しい黒髪って意味ですよ。」
「でも、一回くらいは天音センパイも美容院を体験すべきです!」

嫌に瑞樹が張り切ってしまった。何事も経験なのだそうだ。それはまあそのとおりだと思うが。

そんなこんなで、閑にあかせて、私は今日、美容院への扉を叩いてみた。


瑞樹に渡された紹介カードとやらを持って、瑞樹のおすすめのヘアサロンに行く。
ところで、美容院ではなくてヘアサロンなのだそうだ。間違っても美容院など、野暮ったく呼んではいけないのだそうである。
そんなござかしい事を言うあたり、もうすでになんとなく嫌気がさしているのだが。

予約の11時少し前についてみると、室内なのに帽子を被った男が迎えてくれた。
どうして髪をいじる職業についていて髪を露出できないのだろう。よほど腕に自信がないのだろうか。
店内にうろうろしている人たちで、腰に作業用のポーチのようなものを提げているのがスタッフらしい。
こういうところは制服はないのかな。どれが誰やらさっぱり分からない。もっとも少し小汚い方がスタッフらしいが。

少し待たされて大きな鏡の前の椅子に座らされる。
嫌に猫なで声を出す男が、私の髪を指先でつまむようにして話し掛けてきた。

「初めてのお客様ですね。今日はいかがなさいます?」
「はあ、少し裾を切って頂いて…それから何かしてもらってこいと後輩が言うものですから…。」
「ええと、加納様のご紹介でしたね。」

妙にくねくねした男だった。次から次へと色々なサンプルを持ち出して、やれパーマがどうとか染めがどうとかいう。
見せられるモデルがみんな顔が気に入らない。私は次から次へと首を振って、結局トリートメントだけしてもらうことにした。

まず洗髪だ。これはさっきのくねくねした男とは別の男が行う。
スタッフには女性もいるようだが、なぜか私のところには男性ばかりがまとわりつく。

顔に乾燥機臭いガーゼが乗せられる。男だから潔くわしわし洗ってくれるのかと思いきや、なんだか妙にちまちまちまちま洗ってくれる。
いちいち「首の高さはだいじょうぶですか?」「お湯加減はいかがですか?」「洗いたりないところはありませんか?」「ゆすぎたりないところはありませんか?」とぼそぼそ聞かれて鬱陶しい。
プロなら自分で判断しろ!
いらいらしだしたころ、やっと洗髪が終わる。

次はカットだ。さっきのくねくねした男がやってきた。
はさみを動かしながら、やたらたわいないことを聞いてくる。最近見た映画は何かとか、桜は見に行かれたかとか。
まるでその辺に売っているマニュアルに書いてあるどおりの質問にうんざりして投げやりに答えていたら、だんだん静かになった。

トリートメントぐらい無論知っているが、美容院もといヘアサロンでするのはしちめんどくさいものだった。
男が二人掛かりで私の髪に何か塗りたくっていく。
すっかり塗り終えるとタオルで髪を巻き、その上からビニールをかぶせて、後ろにぐるぐる回る得体の知れないものを持ってきた。
よく観察して見ると、赤外線ランプらしいものがついていて、それが頭に満遍なく当たるように回転しているのだ。
その間に、くねくねがコーヒーを持ってきてくれる。
インスタント丸出しの薄いコーヒーだったが、喉が乾いていたのでありがたく頂く。

ぐるぐるはすぐ止まったが、もう一度同じ事の繰り返しだった。
今度は蒸す時間が長い。私は持ち込んだ文庫を開いた。
1ページも読まないうちにくねくねが「熱くありませんか?」と聞きにきた。
仕方ないから笑って答えると、また1ページも読まないうちに別の奴が…。
結局その後3人くらいに邪魔されて、私は文庫を読むのを諦めた。

そしてもう一度洗髪台に移動させられ、髪についた薬液を流されて、やっと終わりだった。
さっきのもごもご喋る男がまた髪をすすいでくれる。彼はどうやら髪を洗う専門らしい。

また鏡の前に移動させられる。首にタオルを巻きつけられた情けない姿で、ずいぶん店の中を歩きまわされた。
今度はドライヤーだ。手が余っていたのか、くねくねの他にもう一人のスタッフがきて、両側からドライヤーで乾かしてくれる。
早いのはいいが…うるさい。
大まかに乾かすと、今度はブラシを使って丁寧に伸ばしていく。
「いやあ、…綺麗な髪ですねえ…。」
さらさら零れ落ちる髪に感極まったようにくねくねが声を上げる。
…誉めるのが遅い…。

そうして仕上げに肩をもんでくれて、やっと私の美容院初体験は終わった。
締めて1万円と少々…。これは高いのか安いのか。

うちに帰ってつくづく鏡を見る。
おばあ様がしてくださったのや、出入りのヘアスタイリストがやってくれるのと何ら変わらない。
首を捻りつつ、それでも明日の花見に瑞樹に報告するネタができたので胸をなでおろす。
とにかく、何事も体験か…。まったくそのとおりだ。
今日のところは美容院もといヘアサロンは肩がこって耳も凝るところだと学んだだけよしとしよう。