| 2004年 4月 3日(土) |
未来予定図
駅前のロータリーを横切り、直哉の消えた不動産屋の前まで行った。
駅付近には何軒か不動産屋がある。
区こそ違うが、私の家と白鳳学園はごく近くである。
人ごみがきらいな私はたいてい徒歩で学校に行くが、電車を使えば、僅か二駅で着くことができる。
地元にそんな大規模な学園を抱えているこの町では、駅前の通りを挟むようにして、閑静な住宅街とマンションやアパートが立ち並ぶ学生街とが隣立している。
お陰で不動産屋も盛況というわけだ。
確かこの店だったとあたりをつけてガラス張りの扉を覗き込むと、細長い店にはカウンター形式のテーブルがあって、古びた椅子に直哉が窮屈そうに納まっていた。
今まさに、バーコード頭の親父が、分厚いファイルを抱えてきたところだ。
しめしめ。私は店内に入ってすとんと直哉の横に腰を降ろした。
直哉がギョッとした表情で振り返る。
「おや、そちらは?」
バーコードが俺を見て目を細めた。
「友人です。付き添いで来てます。」
私はさらりと答えた。直哉が恨めしそうに私を睨んでいる。
「そうですか。えーと、賃貸マンションをお探しですね。
駅から徒歩10分以内。5階以上。2〜3LDKで、ペット可。こんなもんですか。」
「……できれば南向きの部屋で。」
「はいはい。しっかりした学生さんだね。」
バーコードはあっさり私の闖入を忘れると、ぺらぺらと資料をめくった。
「んー、時期が悪いねえ。ちょうど毎年この時期は移動シーズンで、新しいところはもうとっくに埋まっちゃってるよ。
まあ、予算によってはないこともないけどねえ…。」
人のよさそうなバーコードは困ったように直哉を見上げた。
「…うんと高いよ。家賃が。」
「どのぐらいになりますか。」
「そうねえ…。」
バーコードはチラシの束から2〜3枚引っ張り出している。
やおら具体的な話になってきて、私はちょっと目を背けた。
なんだかこういう生々しい話は得意じゃないのだ。
「どうしてまた急にマンションなんです?」
バーコードが席を外した隙に、私は直哉に囁いた。直哉は思い切り眉を潜めて私を見ている。
「…環境が変わるんだ。今のあの部屋はうるさくなりそうだから、静かなところを探しているんだよ。」
環境とはなんだ?
「それにしても3LDKなんて、あんまりじゃないですか。」
「そうよ。学生さんの一人暮らしじゃ1Kで十分じゃないの?
そういうところなら結構移動が激しいから、ちょっと待っててもらえればすぐに開くと思うけど。」
いきなりバーコードが割り込んでくる。
私は狭すぎると言いたかったのだが、世間一般ではそんな感覚なのか。
…気を付けよう。
「えーと、この路線周辺がいいのよね。
ペット不可なら手ごろなお値段でいいのがあるけど。」
「いえ、ペット可でお願いします。」
「んで、やっぱり3LDK? うーん。これなんか条件ぴったりだけど、こんなお値段よ。大丈夫?
敷金礼金含めると、最初の支払いがこんなんなっちゃうけど。」
「…大丈夫です。」
私もそっと脇から覗いてみた。
直哉が遊び半分でいじっている株式を少し売れば、簡単に都合できる金額だ。
「それじゃさっそく見に行きますか。
そっちのお友達は? 一緒に行くの?」
「ええ。よろしくお願いします。」
直哉が思い切り嫌な顔をする。
そう嫌な顔をするな。友達じゃないか。ふふ。
「それにしてもペット可なんて悪趣味な…。部屋が汚れるだけですよ。
それとも、犬猫を飼うつもりなんですか?」
もしそんなところなら、私は遊びにいかれない。
私がつつくと、しぶしぶ直哉が答える。
「ペット可でないと…太郎が飼えないだろうが。」
「太郎?」
太郎といえば、祥太郎先生の愛猫だ!
いつの間にそんなに話が進展したのだろう。
そういえば、祥太郎先生の住まいもこの沿線だ。
3LDKにこだわっているのも…つまりそんなことなのか!
「それじゃ、ようやく祥太郎先生と…!」
「………万全のよういをしてるだけだ。いつ、祥先生を呼んでもいいように…。」
ぶっきらぼうにふて腐れた口調。
相変わらず直哉は意外に純情で一本気な奴だった。
私は直哉とバーコードと連れ立って外に出た。
見渡せば、ここからも何軒か不動産屋が見て取れる。
中にはここより数段大きくて綺麗な店舗もある。どうして直哉はこの店を選んだのだろう。
たとえば雪紀なら到底こんな年季の入った店は選びそうもない。
「あそこに看板が見えるだろ、銀色の。あれは不動産屋の標識だ。
あそこの、東京都の後のカッコに入った文字。あれが一番手ごろだった。」
「手ごろ?」
「あれは、不動産業の更新回数だよ。」
カッコの中は4だ。
「5年に1回更新がある。
つまりこの店はここで20年間商売を危なげなくやっているってことだ。
それなりに業績があって信用できるってことだよ。」
「へえ…。詳しいじゃありませんか。」
私はびっくりして目を丸くした。なんだか直哉には似合わない知識だ。
直哉はまた困ったように眉を寄せると、さらりと言った。
「宅建もってる。」
「え! いつの間に!」
「一昨年とった。登録だけして免許は持ってないけどな。そんな驚くことでもないだろ。1冊本覚えりゃ良いんだ。」
「それにしたって…。」
「大学に入ったら司法試験受けるし、忙しいから取れるもんは取れるうちに取っとかないと。
俺はおまえや雪紀みたいに黙ってても将来の受け皿が決まってるわけじゃないんだ。」
確かにそれはそうかもしれない。
直哉の父君は雪紀の会社の重役で、聞こえはいいが悪く言えばサラリーマンだ。
確かに将来が決まっているわけじゃない。
「俺は絶対安定した将来を掴みたい。そのためには努力は惜しまない。
俺がしっかりしてないと、祥先生は絶対甘えてくれたりしない人だから…。」
ついポロリと本音が漏れて、直哉は僅かに頬を赤らめた。
私は思いがけず胸を突かれた気分になった。
将来か…。エスカレーター式の学園生活に甘んじて、大して深く考えもしなかった事だ。
私と慎吾の将来はどんな風だろう。
「さあ、こっちですよ!」
バーコードに促されて信号を渡った。
目指すマンションはもう間近だ。